わたしと明日のおしゃれなカンケイ

スタイリスト&エッセイストの中村のんの日々、印象に残った出来事。

新刊『70s 原宿 原風景』出版!

はてなダイアリーからはてなブログに移行してから初のブログです!

新刊『70s 原宿 原風景』を5月10日に出版してからバタバタしていましたが、この本に関しての約1カ月間の記録を書いておきます

 

5月10日、本が誕生した日は、原宿キャットストリートのBOOKMARCで出版記念のサイン会を行いました。

f:id:nakamuranon:20190621141015j:plain

BOOKMARCのリリース

この本の出版社、ディスクユニオン DU BOOKSの編集担当・稲葉将樹さんと装丁&デザインを担当してくださったデザイナーの武川恭子さんと、この数か月間の苦労(といっても楽しい苦労でしたが)の末にこんな素敵な華やかな本のお誕生日を迎えられたことを喜び合いました!

f:id:nakamuranon:20190621142609j:plain

f:id:nakamuranon:20190621141555j:plain

左から稲葉さん、武川さん、私、右にいるのは本書の筆者の一人でもあるクールスの大久保喜市さん。

f:id:nakamuranon:20190621142100j:plain

仲村トオルさん&鷲尾いさこさんご夫婦からや、昔々、私のアシスタントをやってくれてた青柳美智子さんから素敵なお花が届いていたサプライズもとても嬉しかった!

f:id:nakamuranon:20190621142413j:plain

サイン会には大勢の人が詰めかけてくださって終了時間になっても後を絶たず、本当に嬉しかったです!

f:id:nakamuranon:20190621143036j:plain

f:id:nakamuranon:20190621143126j:plain

雪乃と本書の筆者の一人であるマキノユキオさんのお嬢さんのハナちゃんがサイン会のお手伝いに入ってくれて、若い女の子が場を一層華やかにしてくれました。

f:id:nakamuranon:20190621143430j:plain

左から筆者の一人、作家の茅野裕城子さん、やはり筆者の一人、カメラマンの伊島薫さん、隣に伊島さんの奥さんのスタイリストであり私の親友でもある安野ともこさん、そして、私の師匠であり、筆者でもあるスタイリストの草分け、ヤッコさんこと高橋靖子さん。

この本は、45人による「70年代の原宿の思い出」を集めたエッセイ集です。
ご協力くださった筆者ならびに写真家のみなさん、そしてお集まりくださったみなさん、編集の稲葉さん、デザイナーの武川さん、この日を一緒にお祝いしてくださった方々に深く感謝すると共に、とても幸せな日でした。

f:id:nakamuranon:20190621144710j:plain

 

そして、5月19日、TOC五反田メッセで3月から長期にわたって開催されていた話題の「ザ・ローリング・ストーンズ展」の会場内のレッドシューズのカフェで、ロックに詳しいスタイリストの島津由行さんとトークさせていただきました。

f:id:nakamuranon:20190621145446j:plain

f:id:nakamuranon:20190621145529j:plain

島津さんのお宝ストーンズTシャツも披露

f:id:nakamuranon:20190621145642j:plain

司会進行役の門野さん(左)と島津さんのファッションが偶然ピッタリのカラーリングでした。

f:id:nakamuranon:20190621150107j:plain

トーク後、私の本の販売とサイン会も。なかなかの売れ行きで嬉しかったです!

そしてこのトークを見に来てくださったイラストレーターの那須慶子さんとレッドシューズのオーナー門野さんが会話しているうちに、『70s 原宿 原風景』に関連した曲をかけるDJイベントをこの四日後に青山のレッドシューズで行うことが決定しました!

無駄がない動き(笑)

f:id:nakamuranon:20190621150514j:plain

右から2番目が那須慶子さん

そして4日後の5月22日、レッドシューズにて。

f:id:nakamuranon:20190621150742j:plain

レッドシューズでも本の販売をやってくださいました。ここでもたくさんの方がお買い上げくださって嬉しかったです。

この本に関する、次の大きいイベントは

7月5日(金)19時~ 銀座蔦屋書店のイベントスペースで開催される

私、中村のんと、宮沢章夫さんによるトークショー

『ファッションの街、原宿が誕生した時代、70年代とサブカルチャー』です。

「ニッポン戦後サブカルチャー史」の著者・宮沢章夫さんとのトーク、私も楽しみにしています。※詳細・お申し込みに関しては、こちらのサイトでご確認ください。

https://store.tsite.jp/ginza/event/art/7394-1342130612.html

 尚、イベント参加条件は 書籍ご購入、参加チケット(1000円(税込み))のいずれか となります。

また、新刊『70s 原宿 原風景』の内容に関する詳細、購入方法についてはこちらでご確認ください。↓

http://www.nonnakamura-presents.com/relayessay/

 

なんて素敵な!安野ともこさん「感謝還暦パーティ」

1月25日、スタイリストであり、コスチュームデザイナー、ジュエリーデザイナー、下着のデザイナーと、いくつもの顔をもつ安野ともこさんの還暦パーティに参加しました。


参加されていた人たちの顔ぶれを含めて、こんな華やかな還暦パーティ、見たことない!と思うパーティでした!
そして、「これまで支えてくださったみなさんへの感謝のパーティをやりたい」と、パーティを開催することに決めたときに本人から聞いていた通り、こだわりのヤスノ(と私はいつも呼んでいます)ならではの、愛と感謝がいっぱいこめられたパーティでした。

華やかな会場の様子より、ここでは敢えて、還暦とは信じられない、主役ヤスノのファッションをここに記しておきたいと思います。


みんなの前に登場する前、楽屋で撮らせてもらったものです。
ヤスノの元アシスタントさんたちが作ってくれた衣装だそうです。


デコルテを美しく見せてくれるビスチエは、もちろんヤスノがデザインしているAROMATIQUE|CASUCAの商品(シェルフロントミディアム)


全身真っ赤でしたが、靴もオーダーして作ったそうです。

登場した途端、客席から、わ〜!と声が上がり、みんな一斉にスマホを取り出し撮影を始めました。

途中、お色直しがあり、今度は、真っ白なドレスで登場したヤスノ。

ここにエド・ツワキさんがライブペインティングをしてゆきました。
天使の絵とか、LOVEの文字とか、ヤスノらしいメッセージでした。



パーティの最初にスピーチを頼まれた私は、秋山道男さんへの感謝の言葉を挨拶とさせていただきました。
秋山さんがいなければ、私とヤスノがこんなに親しくなるご縁はなかったと思えるからです。

ヤスノは、一時期アイドルをしていた時代に歌っていた、秋山道男さんプロデュース&作詞、細野晴臣さん作曲の曲を、この日、披露しました。



パーティがお開きになって、もらってきたお土産をうちに帰って取り出したら、「安野ともこ成長の記録」ともいえる冊子が入っていました。


「永遠のガール」、ヤスノのピュアな愛と感謝の気持ちは、会場にいたヤスノの友達だけでなく、天国にいる秋山さんにもまっすぐに届いたことと思います。



安野ともこ還暦のお誕生日は、みんながヤスノからたくさんの愛とエネルギーをもらった日。
ヤスノ、ありがとう!

大人のフリマ


あけましておめでとうございます!

2019年、早くも今年の大仕事をひとつやり終えた気持ちで、本年最初のブログを書きます。

師匠であるヤッコさんこと高橋靖子さんが年末にお引越しをされ、そこで断捨離した物をバトンタッチするためのフリーマーケットを、新年早々、1月6日と7日の二日間にわたって旧ヤッコさん邸で行いました。


昨年、喜寿を迎えたヤッコさんが、30年間住んでいたお家からお引越しされるにあたっては、秋頃から、元アシスタントたちや、ヤッコさんにお世話になってきた人たちが入れ替わり立ち代わりお手伝いに入りました。

それぞれの係りを決めての作業でしたが、私は主に写真を中心に資料整理を担当しました。

日本のスタイリストの草分け的存在。スタイリスト歴、半世紀以上。
写真屋の娘として育ち、撮ることも撮られることも大好きなヤッコさんの写真資料は、整理するにも気が遠くなるほど膨大な量でありつつ、お宝の山といった感じで、ヒーヒー言いながらではありましたが、タイムマシーンに乗っているような、ワクワクする作業でもありました。


60年代や70年代のネガのケースのデザインなんかにもつい目がいっちゃって、作業の手を休めてしまうこともしばしば。



デヴィッド・ボウイのスタイリストをやっていたことでも有名なヤッコさん。ボウイのプライベート写真も何枚も。

T・REXと一緒の写真も。右上の写真はT・REXの事務所。下の女性は彼らのマネージャーのチリタ。元モデルだったチリタとヤッコさんは仲良しだったと聞いています。
ボウイもT・REXももちろん70年代の写真です。

撮影現場でもよく撮ったり撮られたりしていたヤッコさん。
坂本龍一さんと一緒の写真は山ほどでてきましたが、その中でもこの写真は好きだな〜と思ってスマホに収めました。

17歳だった私がヤッコさんと知り合ったのは1973年。ザクザクでてくる写真の多くは、私にとっても思い出深いものが多かったけれど、知り合う以前の60年代の写真には、ことさらワクワクしました。
これはヤッコさん20代、日本のスタイリスト第1号としてスタートしたばかりの頃の仕事現場でのスナップ。クリエーターたちが長髪になる以前です。

こんな宝物もでてきたので「貴重品箱」に収めておきました。もちろん、上の写真たちもみんな「貴重品箱」行です。

原宿のセントラルアパートの一室を、一時期事務所にしていた世界的写真家・ユージン・スミスさんがお引っ越されていった直後の部屋も写真に収めていたヤッコさん。これも超貴重です。

これはユージンさんが『MINAMATA』撮影中も履かれていた長靴でしょうか。


思い出は大切にするけれど、ブランド品やラグジュアリーな物にはほとんど興味のないヤッコさん。
フリマに出品した物も、いかにもヤッコさんらしいコレクションでした。


70代になっても、カラフルなお洋服が大好きなヤッコさん。フリマにだしたお洋服もカラフルなら、新居に持ってった服たちも全部カラフルでした。


お引越し後の部屋を片付けて、物品に値付けして並べる作業もなかなか大変だったけど、可愛いものばかりなので、みんな楽しんで作業していました。


ヤッコさんにとっては「これからは必要ない物」
でも、別の人にとっては「これから必要な物」
愛用品がバトンタッチされていく様子は、楽しいだけでなく、感動的ですらありました。

ヤッコさんちにあったこの二つの花器は、

むとうさんの素敵な新居に行って、これから大事にされることでしょう。(むとうさんが撮れらた写真を借用)


みどりちゃんが買ってった籠は、昔からみどりちゃんちにあったかのように、この素敵なスペースにしっくり収まったそうです。(みどりちゃんの撮った写真を借用)


それぞれが購入した物が、それぞれの個性を物語っているのもレジ係りをしながら面白かったです。つい昨日までヤッコさんの物だった物が、別の人にバトンタッチされた途端、その人ならではの物になってく感じも。

松枝さん(男性)が買われた物。

茅野さんのお買い物。
金魚、瓢箪、くわいと、縁起物の柄を選んだそう。

写真集「70’HARAJUKU」の編集者、尾崎さんのセレクト。


新年早々、たくさんの友達の笑顔に出会えたことも嬉しかったです。ヤッコさんもとっても楽しそうでした。





壁にヤッコさんの思い出の写真を張って、プチヤッコShowの雰囲気にしました。
フリマに来てくださったみなさんが、ほーとか、へーとか言いながら楽しんで下さってました。

てんこさん手作りの美味しいケータリングのおかげで新年会のような雰囲気にもなりました。



お引越し準備、フリマ準備のお手伝いスタッフ、そしてお客さんとして来てくれた人たちと記念写真を撮りました。
最高の協力体制で、一大プロジェクトのように行われたお引越しとフリマでしたが、みんなのヤッコさん愛を感じた素敵な経験でした。



ヤッコさんの30年間の思い出が詰まったお部屋で撮る最初で最後のツーショットになりました。私にとっても何度通ったかわからない、ヤッコさんの歴史をみてきたお部屋。並んで撮られながら、感慨深いものが胸をよぎりました。


ヤッコさんがいつもくつろいでいたコーナー。冬でもポカポカと陽が入って春のような気持ちになれる場所でした。

ヤッコさんがキッチンから、いつも眺めていたお気に入りの風景。
ここに近いうちマンションが建って空き地が消えてしまうかと思うと、ちょっとおセンチな気持ちになってしまいます。



このヨーコさんのサインは、旧ヤッコさん宅から新ヤッコさん宅に運ばれ、キャビネットの上に飾られました!

ヤッコさんにとっても、みんなにとっても、夢をもてる、夢がかなう、よい年になりますことを!

『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!』のスウィンギングロンドンにワクワク!

2019年の新春、1月5日〜渋谷Bunkamuraのル・シネマで公開される映画『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!』のチラシにコメントを、そして劇場用パンフレットに原稿を書かせていただきました!




試写状をもらってすぐに観に行き、興奮しまくった映画。
自分が宣伝に一役買ったことを差し引いても「絶対観て!」と会う人ごとにお勧めしたくなる映画です。

監督は1962年生まれのデイヴィッド・バッティ。
英国を代表する俳優、マイケル・ケインのナビゲートによって、当時の音楽をバックに、スピーディに映しだされる60年代ロンドンの貴重な映像の数々に、憧れの時代にタイムトリップした気分になれること間違いなし!


映画のポスタービジュアルとなっているマイケル・ケインの写真は、デイヴィッド・ベイリー、テレンス・ドノヴァンと並んで、この時代の英国を代表するカメラマン(ブライアン)ダフィが撮ったもの。以下のサイトでそのベタ焼きを見ることができます。
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/sgspires68.wordpress.com/2017/01/31/iconic-michael-caine-photos-by-brian-duffy/amp/%3Fusqp%3Dmq331AQGCAEoAVgB


デイヴィッド・ベイリーは、映画『欲望』のモデルにもなり、カトリーヌ・ドヌーブと結婚したことでも話題になり、時代の寵児であった写真家ですが、まさにそのイケイケ当時、彼がスタジオ撮影している姿を見れたことにも興奮しました。

私がスタイリストとして駆け出しだった70年代、一緒に仕事をしてきたファッションカメラマンたちから、憧れの存在として、デイヴィッド・ベイリーの話題はよくでていて、みんなが影響を受けていたことを思い出しました。
デヴィッド・ベイリー。現在80歳。2017年には日本でも写真展も開催し、健在なことが嬉しいです。


そして、この映画で会えるのは、
ザ・ビートルズ、ザ・ローリングストーンズ、ザ・フーの当時の姿。
髪を赤くする前の長髪のデヴィッド・ボウイ。モッズ!

さらに、60年代のファッションアイコン、ツィギー!マリアンヌ・フェイスフル!
当時の最高にキュートな姿の映像を見ながら、今の彼女たちが当時を振り返って語る「あの頃」。最高に贅沢でセンスがいい編集も感涙もの!

その少し前までは、オートクチュールが主流で、パリが拠点だったファッション業界において、ミニスカートによって世界的ブームを巻き起こしたメアリー・クワント!
そして、カラーで巻いてセットするハリウッド的な髪形がビューティとされていた時代に、カットによる髪型革命を起こしたヴィダル・サスーン


伝統に縛られていた英国において、労働者階級の若者たちが音楽、ファッション、アートという手段を使って起こした革命の凄さを深く知ることのできるこの映画は、「今」という時代を知るためにも必見です!


劇場窓口でチケットをお買い求めの方には、この素敵なデザインのトートバッグもプレゼントされるそうです(ただし数量限定)。

パンフレットもご購入下さいね!

※『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!』予告編↓
https://mygeneration-movie.jp/


そして、物事はシンクロするものです。

『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!』を試写で観たその3日後、この日は、昼間に話題の映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観て(公開初日に観て、この日は2回目)、映画全編への感動はもちろんのこと、スウィンギングロンドンの香りが残る1970年ロンドンの「BIBA」の店内の再現にも興奮したのですが、見終わったあと、その足で、原宿のBOOK MARCで開催の立木義浩さんの写真展『舌出し天使』のレセプションに向かいました。

60年代〜70年代にかけての立木義浩さんが、そのルックスのカッコよさも含めて、日本でもっとも有名な人気のカメラマンであったことは、今更語ることもないでしょうが、「舌出し天使」は、立木さん27歳のときの作品。1965年の『カメラ毎日』のグラビアに掲載されたものでした(私が知ったのは80年代になってから。男友達が大事にもっていた『カメラ毎日』を見せてもらって知りました)。
それが半世紀以上の年月を経て初めて、ピンクの美しい装丁の一冊にまとめられたのです!

発表された当時、その構図のスタイリッシュな大胆さがフレッシュだった「舌出し天使」が、日本国内で撮影されたにも関わらず、まさしくスウィンギングロンドンのおしゃれさたっぷりだったことに改めて新鮮な驚きをもって眺めました。



モデルの髪型はまさにサスーンカット。ツィギーの影響も受けていたと思えるこの髪型が、1965年当時、如何にオシャレの先端をいってたかにも思いを馳せました。

立木義浩、27歳の、フレッシュでありながらも完成された才能にも改めて驚愕!

この日から数週間後、立木義浩事務所から郵便が届きました。?と思って封筒を開けたら、感謝感激!
会場で写真集を買ったときの、立木さんと私のツーショットでした!
写真には、エンボスのスタンプも押してありました。


思えば、写真をデータでいただくことはあっても、プリントで頂戴することはまずない昨今。立木さんのサインにあった「写心気」がこういうところにもあるのを感じました。
スウィンギングロンドンの時代がまさに、マイ・ジェネレーションだった立木さん。81歳とは思えない、若々しい立木さんとのツーショット、写真集に挟んで一生の宝物にします!


舌出し天使

舌出し天使


パンフレットへの原稿を書き送ったあと、マリー・クヮント(映画ではメアリー・クヮント)の自伝を読みました。面白い!
2018、今年の読書納めはこの本となりました。


2019年4月〜ロンドンのV&Aでは「マリー・クヮント展」が開催されるようです!
行きたいな〜
https://www.duffyarchive.com/


「時代」を知ってゆくことは面白い!
知れば知るほど、自分の中で点だったことが、点と点が繋がって深い線の知識となってゆくことにワクワクします。

2019、来年のテーマは「温故知新」とすることにしました!

キャロルのウッチャンのサイン!にキャー!

2ヵ月以上もブログを怠けてしまいました。何もないからではなく、感動することや楽しいことがありすぎて追いつかなかった(笑)

そんな中でもスペシャルなことが起こったので、書かずにはいられない気持ちで久しぶりにページを開きました。



キャロル解散は1975年のことでした。
1972年12月にシングルデビュー。
翌73年3月に発売されたファーストアルバム『ルイジアンナ』で若者たちの心を鷲掴みにした。
篠山紀信が撮影した、黒い革の上下を着たメンバー四人の圧倒的な存在感、音も、歌声も、「時代を象徴するバンド」となるにふさわしい魅力とエネルギーに溢れていた。鮮烈なデビューからわずか二年半の活動だったが、これほど私を夢中にさせてくれたバンドは、後にも先にもないと言えます。

既に人気のメジャーバンドだったキャロルが、「東のキャロル、西のファニカン」と言われていた桑名正博がヴォーカル&ギターを務めるファニー・カンパニー(このバンドも活動期間はたったの三年だった)と共演したステージを観たのが、新宿伊勢丹デパートの屋上だったという記憶が、あの時代を彷彿とさせる。


今なお伝説として語り継がれている1975年4月13日に日比谷野音で行われたラストライブで、興奮してステージに駆け上がろうとしたところを、警備にあたっていたクールスのメンバーに押し返されて悔しい思いになったのも今ではいい思い出だ。
アンコールが終わったあと、演出効果として使われていた爆竹からのアクシデントでステージが炎上したハプニングは、「ひとつの時代の終焉の象徴」とも言われているが、このとき19歳だった私は、「CAROL」の大きい文字が吊るされた、メンバーが立ち去ったステージに、はらはらと火の子が落ち、煙が上がってゆく様を茫然と見つめながら、自分の青春が終わった気持ちになって泣いていた。


私にとってのそんなキャロルのギター&バックヴォーカルだったウッチャンこと内海利勝さんと9月26日にお会いすることになったのです!

友人であるクールスの元ベースのキイチさん(大久保喜市)が、ウッチャンのかわさきFMの『内海利勝Love&Peace同じ空の下から』にゲスト出演するから遊びに来ない?と誘ってくれたのです!

ウッチャンに会える!前の日から高校生に戻った気分でドキドキしました(笑)
1973年に買ったアルバム、2枚を(サインをもらうために)持って行くことにしました。

「私の青春はこれで終わった」と泣いた日からなんと45年後、まさかのサインをもらえることになるとは!
長く生きててよかったな〜♪
キャロルをずっと好きでいてよかったな〜♪
と、心底思えた日。


キャロルのメンバーの中で唯一、育ちがいい(笑)雰囲気だったウッチャンは、母性本能をくすぐる、はにかんだ感じの笑顔が魅力的な、当時十代だった私から見ても「カワイイ」最年少でした。
ステージを思い出すと、ギトギト脂ぎった、汗の匂いがするメンバーの中で、清涼な水のような存在感でもあったな。

そんなウッチャンは、直に話してみると、とてもおおらかな、優しい笑顔が魅力的な、とーっても素敵な中年紳士になっていました。
清涼な水のような若者だった人が、あれから45年経っても、業界に長くいる人に付きがちな「アク」のようなものが、まったく付いていない、相変わらず「きれいな佇まい」だったことに、なんか、とても感動しました。
会った途端、「お久しぶりです」と手をさし出してくれ、たしかにお久しぶりではあるものの、あちらはステージの上の人、こちらは、客席で黄色い声を上げているだけだったのに(笑)。

私が作った写真集、『70’HARAJUKU』を持っていただいてもいいですか?とドキドキしながらお願いしたら「もちろん!」と。
キャーーーー!タイムマシンに乗って、17歳のときの私に自慢しにゆきたい!(笑)


私の師匠であるスタイリストの草分けであるヤッコさん(高橋靖子)は、キャロルが出演した山本寛斎さんがパリで行ったファッションショーでスタイリストを務め、映画『キャロル』のスタイリストもやっていました。
私はその直後にヤッコさんにファンレターを送り、友達になり、そしてバイトとしてヤッコさんのアシスタントに就くことになったので、一般のファンが知らない現場でのエピソード等もヤッコさんから聞いていました。
「ヤッコさんは元気?」と言うウッチャンと、そんな話もちらっとできたことも嬉しかった。
キャロルとのエピソードはヤッコさんのこの本にも書かれています。

時をかけるヤッコさん

時をかけるヤッコさん


ウッチャンとキイチさんがトークするところを横で見ていました。
曲がかかっている間に二人が、キャロルとクールス時代の思い出をフランクに語り合ってる場面を横で見てるなんて、原宿レオンでよく見かけてたクールスも雲のような存在だった当時の私からすると夢のような出来事です。
音楽の話題になると、少年のような顔になる二人でしたが、横で見てる私もきっと少女の頃の表情になっていたことと思います(笑)



スタイリストという仕事柄、有名な芸能人やミュージシャンには山ほど会ってきてるし、友達にさえなってきてるけど、十代の頃に夢中になってたアイドルと会えることは、格別の嬉しさであり、ミラクルとも思えるほどの出来事です!


キャロルの中で一番背が高かったウッチャン、クールスの中で一番背が高かったキイチさん、二人とも60を過ぎた今も素敵な佇まいです。

クールス時代の70年代の原宿、青山、赤坂を舞台として大久保喜市さんが書かれた実体験に基づいた小説『ストレンジ・ブルー プラス』(DU BOOKS)は2刷が発売されたばかり。
こちらから買えます!

ストレンジ・ブルー プラス 70年代原宿の風景とクールス

ウッチャンに会わせてくれたキイチさんに、心から感謝!


ウッチャンについて、今年のウッチャンのお誕生日(2018年5月30日)に書かれたこちらも参考として貼っておきます。

http://www.1242.com/lf/articles/106394/?cat=entertainment&feat=music_calendar

山口はるみ展 『HARUMI’S SUMMER』

7月6日〜8月25日まで、山口はるみさんのイラスト展『HARUMI'S SUMMER』が、ギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催されています。

http://www.dnp.co.jp/gallery/ggg/


7月17日に、スタイリストの草分けであり、私にとっては師匠であるヤッコさん(高橋靖子さん)と行きました。
銀座のアスファルトからの照り返しを受けながら会場に向かって数分歩いただけで汗だくになるくらい暑さが厳しい日でしたが、入り口のドアを開けた途端、夏の素敵な気分が押し寄せてきてテンションが上がりました!
この雰囲気は、1970年代の終わりから80年代の頭にかけて、私が浴びていた夏の匂い。

シンガポールナイト、シネマクラブ、極楽鳥、この当時よく行ってた、原宿にあったそんなお店のインテリアや、この時代、一世を風靡したイタリアのブランド「フィオルッチ」のセンスを咄嗟に思い出しました。


今回の展示のアートディレクターは、1985年生まれのヨシロットンさん。
1960年代から活動してきたイラストレーターの巨匠・山口はるみさんと、はるみさんが時代を作った頃(70年代)にはまだ生まれてなかったヨシロットンさんがタグを組んだのは、面白い試みです。

プールの波はユラユラ形を変え、色も変わるのです。


「私は何も言ってないのよ。すべて彼にお任せしたの」とはるみさん。
展示の熱量に、ヨシロットンさんのはるみさんに対する熱いリスペクトが伝わってきました。


70年代半ば、渋谷の公園通りを上がったところにある桑沢デザイン研究所の学生だった私にとって、パルコの広告を手がけるはるみさんは、大スターであり、憧れでした。展示されいていたパルコのために描かれていた絵は、どれもこれも記憶にしっかり焼き付いているものばかりで、「懐かしい〜!」という言葉と共に、当時のワクワク感が蘇ってきました。

なんてたって、毎日、この絵を見ながら、通学していたのですから!
はるみさんの絵に刺激され、憧れて、エアブラシを買って作品を描いていた学生たちもいましたっけ。


イラストレーターのレジェンドである山口はるみさんと、スタイリストのレジェンドであるヤッコさんと、はるみさんの絵をバックに撮ったスリーショットを、タイムマシーンに乗って70年代の私に見せたら、どんなにビックリすることでしょう!

1階、2階、3階の3フロアを使って展示されてる会場を移動する階段も、素敵なディプレイで感激しました。


ヤッコさんが来場されたことに、はるみさんは心から嬉しそうで、
「初めてヤッコさんと会ったのは、たしか1970年だったわよね。
私はまだパルコもやってなくて、西武デパートの広告をやってた頃。
二人ともミニスカートをはいていて、ヤッコさんはショッキングピンクのミニスカートで、すごく可愛かったわ」と、思い出話をしながら、絵の説明をしているはるみさんとヤッコさんの姿に、若く可愛かった頃のお二人の姿が、すんなり浮かんできました。


「下から撮ってね。そのほうが足が長く見えるから」
「はーい!」
なんて言い合いながら、はるみさんを撮るヤッコさんの、和気藹々の場面を思わずパチリ!

ヤッコさんは喜寿を迎えたばかり。はるみさんはちょっと年上。
若々しさといい、可愛さといい、凄すぎる先輩たちです!

このインテリアにピッタリはまるのも凄い!


私も最後にはるみさんとツーショットを撮っていただきました。


エアブラシ以前の、西武の広告のために色鉛筆で描かれたイラストや、男性を描かれた絵も展示されていました。ちなみに男性の絵ははるみさんの好きな尾崎豊です。

サガンをなぜ好きかっていうとね、たーくさんお金を稼いだけど、全部、ギャンブルに使ちゃったでしょ」と、競馬大ファンのはるみさん。

昔も今も、全然、守りに入っていないはるみさんは、やっぱり、めちゃめちゃカッコイイのでした!

【追記】

この帰りにとても不思議なことが起こりました。
あまりの暑さに「うちまでタクシーで帰るわ」と言うヤッコさんのために、私はタクシーを拾ったのですが、何台か通り過ごさせたあと、白髪の品のいい運転手さんの姿が見えたので、安全な運転をしてくれそうだなと思って、このタクシーに手を上げました。
私は表参道から帰るため、青山三丁目の交差点で降りて、ヤッコさんはそのままご自宅まで乗って行かれました。
うちに帰って留守電が入ってることに気づき、聞いてみたら、ヤッコさんの声で、
「のんちゃんが降りたあと、タクシーの運転手さんから『ヤッコさん、お久しぶりです』と言われて、え?と思ったら、その人は、私が昔、レマンにいたときによく仕事をしてた、レマンにいたカメラマンK・Yさんのアシスタントだった人でした。驚きました」と。

「レマン」といえば、大学を出て大手広告代理店に就職したヤッコさんが、そこを8カ月で辞めてから、コピーライターとして入った、原宿のセントラルアパートにあったデザイン事務所。

おそらく、はるみさんとヤッコさんが出会った時期より少し前の時期に、ヤッコさんは、当時はカメラマンのアシスタントだったこの運転手さんと出会っていたのでしょう。

思い返すと、このタクシーの後部座席で、ヤッコさんは、若かりし頃のはるみさんがどんなに魅力的だったか、どんなに頑張り屋だったかについて、私に語っていました。もしもこの会話が聞こえていたら、運転手さんはきっと「ヤッコさん、あなたも魅力的で、頑張り屋でしたよ」なんて思っていたかもしれませんね(笑)

はるみさんのおかげで、私にとってもヤッコさんにとっても、本当に素敵な一日になりました!

1968 - 1972 TOKYO の写真展

野上眞宏(マイク野上)さんの写真展「BLUE TOKYO 1968-1972]が、港区白金台のBIOTOPで、5月19日〜30日まで開催されています。

18日に行われたレセプションのパーティに行ってきました。

はっぴいえんどの写真で有名なマイクさんは、私が作った写真集『70’HARAJUKU』の参加カメラマンでもあります。

27歳で渡米し、30年以上をニューヨークで過ごされていましたが、今回の写真展に展示された写真は、21歳から25歳の間に撮られたものです。
細野晴臣さんと立教大学で同級生だったマイクさんは、はっぴいえんどのメンバーと行動を共にしながら、彼らのスナップを撮っていたそうですが、この当時はまだプロカメラマンにはなっておらず、でもその感性の瑞々しさとともに、写真の早熟な構図に驚きます。

これはマイクさんの作品の中のもっとも有名な一枚です。
1971年に発売されたはっぴいえんどのアルバム「風街ろまん」のイラストの元となったオリジナルも展示されています。

7年前に私が青山の円形劇場で松本隆さんと一緒にいたとき、このアルバムへのサインをお願いにきたファンの方がいて、そのとき、私が瞬間的に撮ったスナップをここに並べたくなりました。

会場では6月に発売される写真集『BLUE TOKYO 1968-1972』が先行発売されていたので、写真集と、はっぴいえんどの写真のTシャツを購入しました。

背中のデザインも素敵です。

展示も写真集にも、はっぴいえんどだけでなく、当時キラキラしていた数々のミュージシャンたちの姿を見ることができます。
ルイズルイス加部さんの、あの時代ならではのカッコよさに目が釘付けになりました。

つのだひろさん、吉田美奈子さんの若かりし頃の姿も。


大学卒業後、マイクさんは写真家・鋤田正義さんのアシスタントになりましたが、師匠の鋤田さんも会場にいらしていました。

この日は、鋤田さんのドキュメンタリ映画「SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬」が公開される前日でしたが、この映画を撮影したカメラマンのマーク東野さん、鋤田さんの元アシスタントでもありこの映画の撮影カメラマンでもある北島元朗さんも一緒に、マイクさんを囲んでいるところを撮らせていただきました。

貴重なメンバーとの記念写真に私も加わらせていただきました!

弟子マイクさんが撮られた師匠・鋤田正義さんの若かりし頃の写真も貴重です。



マイクさんが、Tシャツにサインをするとき、その端を引っ張って協力してた鋤田ファミリーの「あ・うんの呼吸」に感激しました!巨匠、鋤田さんまでもが!

私がいただいたサイン。マイクさんは作品はとってもスタイリッシュで哀愁に満ちていますが、ご本人は、とーってもキュートでハッピイな方なんです。


鋤田事務所があった原宿のセントラルアパートの中庭をのぞむ写真にキュンとします。70年代半ばに、中庭はセントラルパークという名のカフェになり、私は毎日のように通っていました。

この写真集には、キュンとする時代の匂いがいっぱい詰まっていて、この時代をこよなく愛する私にとっての宝物の一冊を作ってくださったことに感謝したいほどの気持ちです。
写真展にはまた行こうと思っています。


※写真展についての情報はこちらをご覧ください。
http://www.biotop.jp/野上眞宏-写真展「blue-tokyo-1968-1972」開催/

※現在上映中の鋤田正義さんのドキュメンタリ映画「SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬」に関してはこちらの情報をご覧ください。
sukita-movie.com/

http://sukita-movie.com/theater.php