わたしと明日のおしゃれなカンケイ

スタイリスト&エッセイストの中村のんの日々、印象に残った出来事。

山口小夜子さんへの個人的思い

小夜子、あるいは、山口小夜子
その名前を頭に浮かべ、言葉にするだけで、独特の思いになる。

現在、東京都現代美術館で開催されている「山口小夜子 未来を着る人」展に行ってきた。
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/sayokoyamaguchi.html

これを機に、小夜子さんへの個人的な思いを書き留めておきたい。

私が高校生だったとき、ハーフのモデルが全盛期だった頃、突然、黒髪のおかっぱ、切れ長の目を強調したメイクで登場した山口小夜子
その姿は、鮮烈であると当時に、日本的な外見の女の子たちに大きな勇気をもらたした。そして私も「自分の外見を受け入れる勇気をもらった一人」だった。
高校卒業を前に、資生堂の美容部員が学校の行事(?)のひとつとしてメイク指導にきたとき「どんな顔になりたいですか?」という質問に手を上げて「山口小夜子さんみたいな顔」と答えた私だった。

展示会場を入ってすぐ一番最初に飾られていた横木安良夫さん撮影の小夜子。

小夜子さんに憧れていた私が、ナマ小夜子さんに会ったのは桑沢の学生だったとき。グラフィック科だったのに、ドレス科がメインのファッションショーのフィッター役に志願して、小夜子さんの担当にしてもらった。

その後、世界的にもビッグになって、世界にその容姿が浸透してからは、ファッションショーや撮影の楽屋にもフルメイクで来ることで有名だった小夜子さんだったが(通常モデルはすっぴんでくる)、この頃はまだ素顔で仕事場に来る小夜子さんだった。その素顔を一目みた途端、私の心に浮かんだ言葉は、
キャンディーズの蘭ちゃんにそっくり!」だった。
そう、小夜子さんの素顔は「美人」「妖艶」というよりは「可愛い」「可憐」という印象だった。

沢渡朔さん撮影の小夜子。

小夜子さんが私服に斜め掛けしていたKENZOの、シルク地に刺繍が施されたポシェット、その中に煙草のチェリーが入っていたこと。チェリーを吸ってる女性は珍しかったから、桜の絵のついたエンジのパッケージは小夜子さんによく似合ってるなーと思っていたこともよく覚えている。

私がアシスタントについたヤッコさんこと高橋靖子さんは、小夜子さんと仲良しだった。「小夜子さんにもこんな時代があったのよ」と、まだ無名の頃の小夜子さんが、その他大勢みたいなモデルと交じって写っている「すみれモデルクラブ」のパンフを見せてらったこともあった。その頃の小夜子さんはまだ「ただのきれいな人」で、あの個性は確率していない感じだった。

そう、モデルは普通、ヘアーメイクの人の手によって、その時々に応じて、メイクやイメージを変えていくのが一般的だ。どんなメイクにも応じられて、いろんな印象を表現できればできるほど、いいモデルとされる。
そういう意味において「ひとつの顔」だけで勝負し、一貫した印象で、あらゆるデザイナーのあらゆる種類の服を「自分のものとして」着こなし続けた小夜子さんは、ファッションの世界において、世界的にも、唯一無二の存在といえる。

私がスタイリストとして小夜子さんとお仕事をさせていただいたのは、一度だけ。資生堂のCMとスチールだった。カメラはもちろん横須賀功光さん。
小夜子さんに揃えた衣装は、ビッグなシルエットのイッセイのナイロンコートと、コムデギャルソンの黒い傘だった。あんなに好きだった小夜子さんとの仕事だったのだから、あのときのビデオとポスター(?)をもらっておけばよかったと、今になって後悔している。

横須賀功光さん撮影の小夜子。
小夜子さんの資生堂のシリーズの撮影カメラマンはほとんどが横須賀さんだ。
でも、横須賀さんも小夜子さんも今はいない。天国で二人でまた撮影してるのかな、と思ったりする。

これも横須賀さん撮。前髪を上げた小夜子の写真は珍しい。


小夜子さんがパルコ劇場で初舞台を踏んだときには、私はもうフリーになっていたけど、ヤッコさんのお手伝いとして現場についた。
小夜子の再来といわれていた新人モデルの安珠が準主役として出演し、その後、私は安珠と大親友になったけど、小夜子さんとは緊張のあまり、口を利くことすらできなかった。


モデルとしての小夜子のことなら、語れる人は大勢いる。普段の小夜子さんのことも、友達だった人は誰もがその性格を絶賛する。

私は仕事をしてきた人間として小夜子を語れるほど、一緒に仕事をしてきてもいないし、ましてや、言葉を交わしたことさえほんのちょっとで、残念ながら知り合いといえるほどの関係にはなれなかった。

でも、ひとつだけ、誰も知らない(知ってるのはヤッコさんだけ)素敵なエピソードをもってる。

それは、ヤッコさんが、34歳で妊娠して初出産したときのことだ。(このとき私はアシスタントだった)
たくさんの人がヤッコさんにお祝いをした。ほとんどがセンスのいいベビー服や小物だった。そんな中、小夜子さんからのお祝いの品は意外だった。
それは、「貸しおむつの一年分の契約」だった。
まだ紙おむつのなかった時代、生んですぐに仕事を再開させるヤッコさんにとって、日々のおむつの洗濯は、それなりに負担だろうと、小夜子さんは想像したのだろうか。まだ二十代で、独身の、生活感をこれほど感じさせない人はいない、といえる雰囲気の小夜子さんだったのに。
当時、ヤッコさんはベビーシッター代もあって、経済的に苦しかった。
「小夜子さんからのプレゼントは本当にありがたかった」とヤッコさんが言っていたことを覚えている。

原宿レオンで、染吾郎さんが撮ったヤッコさんと小夜子さん。
笑っている小夜子さんの写真は珍しい。


2007年8月に肺炎のために死去した小夜子さん。享年57歳。

9月8日、築地本願寺で執り行われた「山口小夜子さんを送る会」では
大勢の人が訪れお焼香をする間ずっと「g線上のアリア」をバックに羽衣を着けて踊る小夜子さんの映像が流れ、その映像をうっとり眺めながら「小夜子は、月に帰ったのね」と思う私だった。
境内に出ると、キャンドルジュンさんによるたくさんの数の蝋燭が並べられていて、その美しさに、言葉がでないほど感動した。

みんなで小夜子さんを見送った夜は、小夜子さんのステージさながらの美しさだった。やっぱり小夜子は月に帰ったんだ…そう思った。


河出書房新社が作った読み応えのある充実の図録。


山口小夜子 未来を着る人」展は、東京現代美術館で、6月28日まで。