わたしと明日のおしゃれなカンケイ

スタイリスト&エッセイストの中村のんの日々、印象に残った出来事。

「スナックよね」 米原康正さんとトークしました!

今年4月に原宿に開校した「東京ファッションテクノロジーラボ」で、今後毎月開催してゆくトークイベント「スナックよね」の初回ゲストとして、よねちゃんこと米原康正さんに呼んでいただきました。
よねちゃんと知り合ったのは90年代、仕事を通してでしたが、当時、よねちゃんは編集者。45歳から写真を始めたよねちゃんは、今や、中国に230万人のフォロワーをもつ人気カメラマンです。


この日、参加された編集者の萩原収さんがフェイスブックに投稿して下さったレポートをここに転載させていただきます。(私の隣にいるのが萩原さん)


5/5、原宿の“Tokyo Fashion technology lab”で開催された「スナックよね」に行ってきました。
米原康正さんが原宿のカルチャーを発信する主宰企画で、その第一回目のゲストが中村のんさん。『70' HARAJUKU』の写真展、写真集で今や、70年代の原宿を語る第一人者になってしまった感もあります。

話は原宿カルチャー伝説の梁山泊であった喫茶店、レオンから始まり、クリームソーダ、ゴローズ、MILKなど、店というより、人の面白さがメインになるような話題が盛りだくさん。

パンクの影響を受けて、熊本から「東京に来たら全員パンクだと思った」というよねちゃん。当時の東京はサーファー全盛で、パンクは浮きまくり。サーファーのほうがモテるとばかり、即座に宗旨がえしたという話。ナイロン100%でバイトして、ツバキハウスに通ったりもしていたそうです。

オレは原宿にはあんまり足を踏み入れなかったけれど、新宿には新宿の、渋谷には渋谷のカルチャーがありました。いや、カルチャーというおしゃれ文化的なものではなくて、なんというか、それぞれの磁場のようなものが明らかに存在していたのです。
その街に行けば、こんな感じの店がある、こんな人がいる、その店に行けば誰かしら仲間がいる、といったことが街と人を育てていたわけです。今は、おそらく、携帯電話とネットの普及によって、その場にいなくても、どこかで集まらなくても、何かが共有できてしまう。でも、そこには何かあるようで実は何もない、地面がないところには花も育たないのでした。(by 萩原収)


70年代のファッションやカルチャーが大好きな20代、30代の人たちが大勢集まってくださいました。自分が生まれる前のことなのに、私よりも知識が豊富で、トーク後のパーティで会話して、私が舌を巻く場面も。


トーク後、写真集を買って下さる方もたくさんいて嬉しかったです!

ファッションの街・原宿に、世代を超えた文化交流の場を作りたい、そして、世界に羽ばたく人材を育ててゆきたい、その思いで開校した東京ファッションテクノロジーラボ。
これからの活動を見守り、応援してゆきたいです!

※東京ファッションテクノロジーラボのブログからも「スナックよね」のレポートをお読みください。

http://tfl.tokyo/blog_snackyone_vol1/

※NumeroTOKYOのWEBでもトークの様子を掲載していただきました!

https://numero.jp/yonethropology05/


※よねちゃん(米原康正)に関する記事。

http://logmi.jp/137707
https://compass-media.tokyo/interviewlist/yoneharayasumasa/