わたしと明日のおしゃれなカンケイ

スタイリスト&エッセイストの中村のんの日々、印象に残った出来事。

諸行無常の春2020

2月16日、神宮前交差点そばにあったコロンバンが、1967年に開店してからの53年間の営業に幕を閉じた。

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中学生の頃から「ここにあるのが当たり前」の老舗の店だった。

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初めて見たときからまったく変わらない外観。

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学生時代の私にとって、外国の街を歩いているような気分にさせてくれる店構えだった。

コロンバンがなくなることは前々から聞いていたので、昨年の秋、師匠である「表参道のヤッコさん」こと、スタイリスト第一号の高橋靖子さんと一緒に記念写真を撮った。

ヤッコさんとしょっちゅう行ってたのは、70年代、私がヤッコさんのアシスタントをしている頃だった。

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私もヤッコさんも変わったけど、コロンバンは変わっていなかった。

ケーキ屋さんだけど、昔は、店内での喫煙がOKだった。

ヤッコさんがお店の人にお願いして譲ってもらった灰皿を、私もヤッコさんからひとつもらった。

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今でも大事にとってあるコロンバンの灰皿。

 

3月21日にJR原宿の新しい駅がオープンした。ガラス張りの四角い箱みたいな建物だ。

 

今年の1月、70年代からの友達、ジェーン・マープルのデザイナー、村野めぐみさんと一緒に原宿駅舎の前で記念写真を撮ることにした。

娘が撮ってくれた写真。

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村野めぐみさんは、高校生のときに、原宿のフランセで、次にゴローズでバイトして、桑沢デザイン研究所を卒業したあとは、原宿のMILKにデザイナーとして就職。

ジェーン・マープルを立ち上げてからずっと、ラフォーレ原宿の中にショップを構える生粋の原宿っ子。

二人で原宿に立つと、思い出話がつきない。

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お父さんに連れられた6歳くらいの男の子が「この駅、なくなっちゃうの?可愛いのにもったいないね」と言っている声が聞こえてきた。

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1924年大正13年)から使われてきた、都内最古の木造駅舎

東京大空襲も逃れて生き延びてきた駅舎が、自分が生きている間になくなるとは思ってもみなかった。

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外国の絵本に出てくるような屋根が大好きだった。

2016年に東京新聞の取材を受け、残してほしいと訴えた。

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3月24日、神宮前交差点のオリンピアアネックスの地下に1983年からあった古着屋さん「シカゴ」本店が、37年間の営業の幕を閉じた。

この店のネオンも「ここにあるのが当たり前」だった。

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原風景としてきた「私の好きな原宿」にワープさせてくれる入り口の雰囲気だった。

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衣装集めでも、いっぱいお世話になってきた。

原宿の都市開発に伴って、シカゴが入っていたオリンピアアネックスのビルが解体されるのも、時間の問題だ。

東急プラザ表参道原宿の屋上から見えるこの風景は、あと少しで違う風景になってしまう。

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「ここにあるのが当たり前」だったビル

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ビルの中は、今はもぬけの殻

 

新型コロナウィルスの影響で、3月になってから、原宿を歩く人の数はぐっと減った。

でもそれは原宿に限ったことではない。人であふれていた街は、どこも変わってしまった。テレビの中にいるのが当たり前だった志村けんさんも突然いなくなってしまった。

3月の頭に予定されていたイラストレーターの和田誠さんを偲ぶ会は、新型コロナウイルスの影響でなくなった。

3月13日、和田さんの奥さんの平野レミさんと一緒に、代々木上原~代々木公園の横を通って、原宿駅を眺めながら、青山の骨董通りまでお散歩した。

和田さんと青山に暮らしていたときの新婚時代の思い出話を聞きながら。

 

その数日後、男友達が、和田誠さんの画集『山手線一周 1995』を送ってくれた。

和田さんの手にかかると、可愛らしい駅舎が、より一層あたたかさを増す。

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「この駅は昔から変わらないね。」と、和田さんの言葉が。

和田さん、それがね、変わっちゃったんですよ、と本に向かって話しかけた。

 

JRは、東京オリンピックが終わったら、この駅舎を解体し、耐火建材を使ってできるだけ忠実に再現すると発表した。

でもね、「木造」でなくちゃ、この雰囲気はありえないんですよと言いたい。

オリンピックは、一年後の2021年開催に延期と発表された。

てことは、木造駅舎の解体も、一年後に延期となるのか、とても気になる。。。。

世の中が今、それどころじゃないことをわかりつつも。

 

今日、4月1日はエイプリルフール。

3か月振りに書いたブログ。ここに書いたことが全部、嘘だったらいいのに。。。

 

去年の5月に出版した拙著『70s原宿 原風景』(DU BOOKS)に45人の人々が書いてくださったエッセイが、ますます貴重なものになってくる。

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