わたしと明日のおしゃれなカンケイ

スタイリスト&エッセイストの中村のんの日々、印象に残った出来事。

山口はるみ展 『HARUMI’S SUMMER』

7月6日〜8月25日まで、山口はるみさんのイラスト展『HARUMI'S SUMMER』が、ギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催されています。

http://www.dnp.co.jp/gallery/ggg/


7月17日に、スタイリストの草分けであり、私にとっては師匠であるヤッコさん(高橋靖子さん)と行きました。
銀座のアスファルトからの照り返しを受けながら会場に向かって数分歩いただけで汗だくになるくらい暑さが厳しい日でしたが、入り口のドアを開けた途端、夏の素敵な気分が押し寄せてきてテンションが上がりました!
この雰囲気は、1970年代の終わりから80年代の頭にかけて、私が浴びていた夏の匂い。

シンガポールナイト、シネマクラブ、極楽鳥、この当時よく行ってた、原宿にあったそんなお店のインテリアや、この時代、一世を風靡したイタリアのブランド「フィオルッチ」のセンスを咄嗟に思い出しました。


今回の展示のアートディレクターは、1985年生まれのヨシロットンさん。
1960年代から活動してきたイラストレーターの巨匠・山口はるみさんと、はるみさんが時代を作った頃(70年代)にはまだ生まれてなかったヨシロットンさんがタグを組んだのは、面白い試みです。

プールの波はユラユラ形を変え、色も変わるのです。


「私は何も言ってないのよ。すべて彼にお任せしたの」とはるみさん。
展示の熱量に、ヨシロットンさんのはるみさんに対する熱いリスペクトが伝わってきました。


70年代半ば、渋谷の公園通りを上がったところにある桑沢デザイン研究所の学生だった私にとって、パルコの広告を手がけるはるみさんは、大スターであり、憧れでした。展示されいていたパルコのために描かれていた絵は、どれもこれも記憶にしっかり焼き付いているものばかりで、「懐かしい〜!」という言葉と共に、当時のワクワク感が蘇ってきました。

なんてたって、毎日、この絵を見ながら、通学していたのですから!
はるみさんの絵に刺激され、憧れて、エアブラシを買って作品を描いていた学生たちもいましたっけ。


イラストレーターのレジェンドである山口はるみさんと、スタイリストのレジェンドであるヤッコさんと、はるみさんの絵をバックに撮ったスリーショットを、タイムマシーンに乗って70年代の私に見せたら、どんなにビックリすることでしょう!

1階、2階、3階の3フロアを使って展示されてる会場を移動する階段も、素敵なディプレイで感激しました。


ヤッコさんが来場されたことに、はるみさんは心から嬉しそうで、
「初めてヤッコさんと会ったのは、たしか1970年だったわよね。
私はまだパルコもやってなくて、西武デパートの広告をやってた頃。
二人ともミニスカートをはいていて、ヤッコさんはショッキングピンクのミニスカートで、すごく可愛かったわ」と、思い出話をしながら、絵の説明をしているはるみさんとヤッコさんの姿に、若く可愛かった頃のお二人の姿が、すんなり浮かんできました。


「下から撮ってね。そのほうが足が長く見えるから」
「はーい!」
なんて言い合いながら、はるみさんを撮るヤッコさんの、和気藹々の場面を思わずパチリ!

ヤッコさんは喜寿を迎えたばかり。はるみさんはちょっと年上。
若々しさといい、可愛さといい、凄すぎる先輩たちです!

このインテリアにピッタリはまるのも凄い!


私も最後にはるみさんとツーショットを撮っていただきました。


エアブラシ以前の、西武の広告のために色鉛筆で描かれたイラストや、男性を描かれた絵も展示されていました。ちなみに男性の絵ははるみさんの好きな尾崎豊です。

サガンをなぜ好きかっていうとね、たーくさんお金を稼いだけど、全部、ギャンブルに使ちゃったでしょ」と、競馬大ファンのはるみさん。

昔も今も、全然、守りに入っていないはるみさんは、やっぱり、めちゃめちゃカッコイイのでした!

【追記】

この帰りにとても不思議なことが起こりました。
あまりの暑さに「うちまでタクシーで帰るわ」と言うヤッコさんのために、私はタクシーを拾ったのですが、何台か通り過ごさせたあと、白髪の品のいい運転手さんの姿が見えたので、安全な運転をしてくれそうだなと思って、このタクシーに手を上げました。
私は表参道から帰るため、青山三丁目の交差点で降りて、ヤッコさんはそのままご自宅まで乗って行かれました。
うちに帰って留守電が入ってることに気づき、聞いてみたら、ヤッコさんの声で、
「のんちゃんが降りたあと、タクシーの運転手さんから『ヤッコさん、お久しぶりです』と言われて、え?と思ったら、その人は、私が昔、レマンにいたときによく仕事をしてた、レマンにいたカメラマンK・Yさんのアシスタントだった人でした。驚きました」と。

「レマン」といえば、大学を出て大手広告代理店に就職したヤッコさんが、そこを8カ月で辞めてから、コピーライターとして入った、原宿のセントラルアパートにあったデザイン事務所。

おそらく、はるみさんとヤッコさんが出会った時期より少し前の時期に、ヤッコさんは、当時はカメラマンのアシスタントだったこの運転手さんと出会っていたのでしょう。

思い返すと、このタクシーの後部座席で、ヤッコさんは、若かりし頃のはるみさんがどんなに魅力的だったか、どんなに頑張り屋だったかについて、私に語っていました。もしもこの会話が聞こえていたら、運転手さんはきっと「ヤッコさん、あなたも魅力的で、頑張り屋でしたよ」なんて思っていたかもしれませんね(笑)

はるみさんのおかげで、私にとってもヤッコさんにとっても、本当に素敵な一日になりました!