わたしと明日のおしゃれなカンケイ

スタイリスト&エッセイストの中村のんの日々、印象に残った出来事。

去年の紅白から。。。クミコさんを通して思うこと。

30日リハ。そして大晦日の本番と、去年の今頃は、紅白に出演するクミコさんのスタイリストとして、華やぎと緊張の二日間を送っていました。

ヒット曲『祈り』で、55歳にして紅白歌合戦に初出場したクミコさん。
この曲は、広島の原爆で被災して命を落としたサダコちゃんのことを唄った曲。
2010年のクミコさんは、この曲のヒットによって、テレビにラジオにコンサートに、そして広島をはじめとして、アメリカのイベントにも呼ばれたりで大忙しでした。

歌詞の中にもある「折り鶴」をデザインに盛り込むこと、縫ったではなく折ったような雰囲気に、そして透明感と豪華さを、丸山敬太さんにお願いして出来上がった衣装は、2010年最後を飾るにふさわしい、見事な美しさでした。



蛍の光」と共にステージに幕が降り、楽屋に戻ったのは零時を過ぎた時刻。クミコさんを囲んでスタッフ全員で、お疲れ様と共に、あけましておめでろうございますの挨拶を交わし合いました。

「今年はどんな年にしたい?」と言う私に、「そうね、とにかくのんびりしたい」と答えたクミコさん。
「そんなわけにはいかないんじゃない?」と言った私は、単純に、紅白出演を機に、ますます売れっ子になるクミコさんを想像していたのだけれど。。。。


それから三ヶ月が経った忘れることのできない3月11日。
この日、クミコさんはコンサートのために初めて行った石巻で、リハーサルの途中、「津波だ!」という声を聞いて、避難する立場になりました。
クミコさん、そしてスタッフの人達は、財布も携帯も置いて車に逃げ込み、命からがら山の上に避難しました。車の中で一泊。そのあと、山を下りて避難所に。被災した芸能人として、マスコミにも大きく取り上げられるところとなりました。


3月26日に新曲『哀しみのソレヤードー最後の恋』のCDジャケット撮影のため、クミコさんと会いました。
紅白で会って以来、初めて会ったクミコさん。私にとっては、震災後、初めての撮影でもありました。

被災してからまだ二週間しか経っていないクミコさんは、まだ人前で唄える心境にはなっておらず、3月に予定していた青山円形劇場でのコンサートは、節電のせいもあって延期になっていました。

立ち上がってゆく気持ちを象徴するために、赤いドレスを、これはクミコさんからのオーダーでした。

シャッターを押しながら、途切れなく荒木さんが投げかける言葉は、どれもが深いフレーズで、カメラの前でクミコさんは涙を流し続けていました。
その姿を見ながら私も泣いた。アシスタントも泣いた。。。。

クミコさんは、楽屋に戻ってからも、涙を流し続けていました。

短い時間だったけど、今までに経験したことのない種類の、忘れることのできない撮影になりました。


それから一ヶ月後、延期していたコンサートが行われました。
「唄うときには泣かないと決めた」とステージで言ったクミコさんの言葉には、凛とした力がこもっていました。

それから今に至るまでの数ヶ月間、「きっとツナガル募金」プロジェクト、石巻で被災した再生ピアノで唄う「心の復興コンサート」プロジェクト等々、クミコさんは、共にその日を乗り越えた人々のために精力的な活動を始めました。
(詳しくはこちらを→http://www.puerta-ds.com/kumiko/

元旦に「のんびりしたい」なんて言ってたことを、今のクミコさんは憶えているかいないか…ともかくその願いは叶えられなかったけど、去年よりずっと、たくましく、人として深くなっているクミコさんです。

今年も、紅白歌合戦が開催されます。
この一年は、あっという間だったような気もするし、また、ずっと昔のような気もします。

来年も、クミコさんに「のんびり」はないかな。
でも、運良く助かった命を存分に使い切る生き方をして欲しい。
そして、私も、人生、いつ何時、何が起こるかわからないけど、授かった命をちゃんと全うしよう。受け入れ、立ち向かってゆく勇気をもって生きよう。

今年の頭、一番最初に「あけましておめでとう」を言い合ったクミコさんのこの一年を振り返りながら、すぐ目の前にある来年の自分について考える今日。。。