平田暁夫先生を笑顔で送る会
3月19日に永眠された日本の帽子デザイナーの最高峰であられた平田暁夫先生(享年89歳)を送る会が、5月19日、パレスホテル東京の葵の間に800人を招いて行われました。会場の大きな窓からは皇居のお堀が見渡せ、皇室の方々のお帽子を作り続けてこられた平田先生に、とてもふさわしい場所でした。
「平田暁夫を笑顔で送る会」と題された集まり。
案内状には「皆様、どうぞ楽しい服装でお越し下さいますよう。なお、帽子をかぶって頂ければ平田が喜ぶと思います」と、奥様による言葉が添えられていました。
というわけで、来場された方々の、素敵なお帽子ファッションを撮ってきました。
さすが、平田先生のファンの方たち、みなさん、被り慣れた雰囲気が素敵でした。
お年を召した方のお帽子姿はなんともいえず上品で素敵でした。
奥様の恭子さんは、やはり会場の中で、ピカイチのお帽子姿でした。
会場でバッタリだった親しい友人たちと笑顔で記念写真を撮りました。
師匠ヤッコさんと、スタイリスト仲間であり、ヤッコさんのアシスタントの後輩でもある愁子ちゃん。スタイリストの私たちは、撮影やステージの衣裳として、平田先生のお帽子には、本当にお世話になってきました。
ビスポークテーラー、batakのオーナー中寺さんは、やはり一分の隙もないカッコいいスーツ姿で、男性陣からも注目されていました。
みんなで並んで笑顔の記念写真を撮りました。
残念ながら平田先生の帽子を持っていない私でしたが、お帽子そのものへのリスペクトの気持ちで、別の物でも帽子を被ってくればよかったと、ちょっと無念な気持ちになりました。それでも、きっと平田先生は喜んでくださったはずだから。
会がお開きになる寸前、お世話役をなさった心臓外科医の須磨久善先生と、生前の平田先生を「パパ」と呼んで親しくされていたさちさんと、ひろみちゃんとで記念写真を撮りました。
さちさんはこの日、受付、仕切りと大忙しでした。私が平田先生とプライベートでお近づきになれたのは、さちさんのおかげでした。
須磨先生もさちさんも、本当にお疲れ様でした。
会場で渡された封筒を開けると、宇野亜喜良さんのイラストのカードと一緒に、奥様の恭子さんからのご挨拶状が入っていました。
その内容です。
この葉がきは、平田が苦しい息の下で、「宇野亜喜良さんに画をかいてほしい」とお願いしたものです。
「日本橋」とひと言。宇野さんが一晩で二枚も描いて下さったのに「違う」とわがまま。改めて翌日届いたのがこの画です。
嬉しそうにうなずいて「葉書にしたい」と言うので印刷に出し、出来上がったのが亡くなる三日前でした。今日の為としか思えません。
「宇野さん、有り難うございました」
今では知る由もありませんが、平田のメッセージを何か感じとっていただければ幸いです。
平成二十六年五月十九日 市瀬恭子
平田先生の遺影のまわりには、たくさんの白いお帽子が。
若い頃から偉大な方として尊敬申し上げていた平田先生でしたが
晩年の平田先生とコンサート、お食事等々ご一緒させていただいたことから
気取りのない、お優しい、そして紳士であり、好奇心溢れる無邪気な子どものようでもある、素のお人柄に触れることのできた幸運に感謝します。
本当に長い間、お疲れ様でした。ありがとうございました。
会場全体に愛と笑顔が満ちあふれていた送る会、天国の平田先生もお喜びになられていたことと思います。
私も、インパクトのある、素敵なお帽子をひとつ、欲しくなりました。