わたしと明日のおしゃれなカンケイ

スタイリスト&エッセイストの中村のんの日々、印象に残った出来事。

NO!という勇気 そして、祈り

震災前から始めたこのブログ。
書き始めた当初は、服に関わらず、生活全般における「おしゃれ」を取り上げることが目的でしたが、世の中の流れ、自分自身の興味に従えば、そこだけに留めておくことができなくなっています。
今回も「おしゃれ」とはまったく関係のないテーマですが、書かずにはいられないので記録しておきます。

震災前は政治的なことに関しては、まったく疎い私でしたが、原発事故を機に勉強会やデモに参加するようになりました。
世の中全体の安全や安心が根底から崩れてしまっては、おしゃれも何もあったもんじゃない、心底思うようになりました。
震災から3年と4ヶ月、世の中がものすごいスピードで動いていること、世界規模で、追い切れないほど次々にいろんなことが起こっていること、そしてそれが、残念ながら悲惨なことが多いことは、誰もが感じていることと思います。
このままじゃいけない。何とかしなくちゃ。行動するしないは別として、そう思っている人も大勢いることと思います。

この一ヶ月間弱の間にもいろんなことがありました。声を上げずにはいられないこと、行動せずにはいられないこと、祈らずにはいられないこと…私がそんな気持ちになったことを記録しておきます。



6月30日と7月1日。

集団的自衛権閣議決定憲法9条解釈改憲に抗議する大規模デモのために、国会議事堂・総理官邸前に大勢の人が詰めかけました。


「戦争のする国になってはならない」
「戦後69年間守ってきた9条を守れ」
色々な世代の人が、いろんな形で抗議していました。

脱原発デモのときよりも圧倒的に若い人の姿が多かったのは、やはり放射能よりも「戦争」に対しての危機感が具体的なせいかもしれません。

子ども連れの人の姿も多く見かけました。

知り合いが勇ましい姿で何時間も旗を振り続けていました。

背中に「9」の文字をペイントしてる若者

約束したわけではないけれど、私の友人達も続々と集まりました。

20年以上ニューヨークに暮らしていたよしみさんは、9.11のときからアメリカでデモに参加してきているそうです。

脱原発デモにも一緒に参加してきてる仲間たちです。

デモは、「抗議行動」であると同時に「祈り」でもあります。シュプレヒコールの中で、静かに祈っている表情にもよく出会います。

空撮で撮られたこの日のデモの様子です。


ですが、7月2日の朝刊には人々の祈りも虚しく「集団的自衛権閣議決定」の文字が一面にデカデカと掲載されていました。
ショックの余り、各紙、買ってしまった私でした。

そして記事の最後にはこう書かれていました。
「歯止めをかけるのは、国民だ。私たちの民主主義が試されるのはこれからである。」



そして三日後の7月5日。東京オリンピック会場として、神宮に建設される予定のザハデザインの新国立競技場に抗議するアクションが明治公園集合で行われました。

今は解体の落札を待つばかりの国立競技場ですが、この競技場を守れ、この会場を再利用しようというのが、この日の主催者および参加者たちの希望です。

建設予定場所の近隣にあるビル、高さ35メートル。新国立競技場はこの倍の高さになる予定です。
たった2週間の開催のために、神宮の緑や景観が壊されることは、あってはならないと強く思います。



そして7月に入って、イスラエル軍によるパレスチナ、ガザへの攻撃が激化しました。Twitterフェイスブック等々、ネットを見ていると、目を覆いたくなる、地獄の風景としか思えないような画像が次々に投稿されてきます。
メディアからのものもあるけれど、おおかたは現地の若者たちが、世界に助けを求める形でSNSにアップしている写真です。
ロンドン、パリ、ニューヨーク、ボローニャ、あちこちの都市で、イスラエルに抗議する大規模デモが行われています。

東京では、昨日7月21日、明治公園集合で「STOP!空爆 ガザの命を守れ」と題されたキャンドルアクションが行われました。
毎日、ニュースをチェックしながら、居ても立ってもいられない気持ちながらも、何もできないことに無力感を感じている私ですので、せめて・・・という思いで参加しました。

キャンドルアクションが行われる前に、ガザでボランティア活動を行っている方たちのスピーチがありました。
日に日に酷い状態になってゆくガザの状態をネットで追っていましたが、現地を体感されてきた方たちからの肉声の報告に胸がえぐられる気持ちになりました。

命がけで救助活動を行っている方たちに対し、頭が下がるでは足りないほどの気持ちになると同時に、無力感に苛まれます。
私たちにできることは、せめて祈ること。
そして、どんな理由があるにせよ、戦争はあってはならない、人が人をあやめることはあってはならないと、強く決意することだと思います。

昨夜のアクションには500人の人たちが集まりました。
私は「A」の文字のひとつの粒になりました。
どうか、どうか、日本からのこの祈りが、世界中からの祈りが届いて、一刻も早く、ガザに平安が訪れますことを。。。


ファッションは大事、居心地いいインテリアも大事、美味しく食べることも大事、友達との集まりも大事、でも、楽しむこと何もかもが、平和を基盤として存在するもの。
この時代に存在していることの意味、「自分がやりたいこと」を超えて、やるべきこと、そのことについて考え続けています。