わたしと明日のおしゃれなカンケイ

スタイリスト&エッセイストの中村のんの日々、印象に残った出来事。

好きなことで才能を開花させた人のはじまりの物語

昨日、一緒にお食事に行った初対面の方から、こんな本を作っています、と雑誌をいただいた。「FASHION CREATOR'S MAGAZINE」は、1号めの高田賢三さん特集がでたあと、2号めの菊池武夫さん特集が出た時点で、師匠のヤッコさんこと高橋靖子さんから「どこの書店でも置いてる雑誌じゃないから、私は青山のリブロに頼んでおいたから、のんちゃんの分も買って送ろうか?」と親切なお電話をいただき、お願いして、2冊一緒に送っていただいていたのでした。
手元に届いたとき、「こんな素敵な雑誌があるのね」と感激し、充実したインタビュー記事に心が躍ったその編集担当の木原昌子さんと一緒にお食事する機会に恵まれた偶然に感謝!ご紹介くださったのは私が昔だした本『私が娘に着せた服』の編集担当だった河出書房新社の谷口亜子さんでした。谷口さんとも十数年ぶりの再会。とっても嬉しい食事の席でした。


で、「FASHION CREATOR'S MAGAZINE」2号目の尊敬してやまないいくつになってもスタイリッシュで素敵な、タケ先生こと菊池武夫さんのページ。

何不自由のない生活を送っていたが、5歳のとき、胸膜内に膿がたまる膿胸という難病に襲われる。「医師からは『7歳までしか生きられない』と宣告されましたが、今も命をつないでいるのは、父の財力のお蔭でしょう」
「死に直面したことで、僕はモノの見方がほかの人とは違っていました。敗戦の現実を直視しながらも『生きていることが楽しい』と思っていたし、いろんな出来事を新鮮に感じることができました」
「子供の頃からおしゃれに敏感だったから、『同級生とはちょっと感性が違うな』という意識を持っていましたね」by菊池武夫

昨日いただいた3号めは、チャーミングで大好きな丸山敬太さん。

プロ野球選手だった父は、1年の半分は家にいませんでしたから、一緒にキャッチボールをした記憶もありませんし、僕は野球選手に憧れることもなかった、むしろ『スポーツができて当たり前』と思われることが嫌でした。それよりも絵を描くことが好きな子供で、花や蝶、バンビなど、ガーリーな絵をよく描いていた。当時から、僕のテイストは変わりませんね(笑)」
「母が作ってくれたお気に入りの服をよく着ていました。今も鮮明に覚えているのは、黒地に白のバンビが編み込まれた手編みのベストと、襟に汽車が刺繍してあるシャツ。父の中国人の友人からもらった緑色のチャイナ風の綿入れも好きでした」by丸山敬太



タケ先生とケイタさんは、昨年11月に私が行ったイベント『70'S 原風景 原宿』で、初日にトークをお願いしたお二人。世代が違うとはいえ、同じビギグループに所属していたこともあり、同じデザイナーであるお二人が、私のイベントで初対面だったとは、とても意外でした。
日本を代表する著名なお二人に、無名の私なんぞが、ご出演をお願いするなんて、図々しいもいいとこだったのに、お願いをした途端、ものの1分で「いいですよ」と言って下さったお二人でした。

これはトークが開始される前。挨拶した途端に、和やかな雰囲気でお話されてたお二人でした。

トークの最後に、「僕は好きなことしかできないから」と仰ったタケ先生に、「僕も」と返されてたケイタさん。

才能を開花させ、人々に尊敬されている人たちの「はじまりの物語」にとても興味がある私です。誰もが最初はただの子どもだった。その子ども時代に何を見て、何を感じ、どんな経験をしたのか。「好きなこと」を仕事にしている人の「今」に至る種は、たいていの場合、子ども時代に蒔かれている。その「種」の在り処を知るのがとても好き。

ファッションクリエイターズマガジンのインタビューを読んで、ますます素敵だなと思ったお二人。僭越ながらも、お二人をお引き合わせすることができたことを、お二人の素敵なツーショットを残せたことを、改めて幸せに思います。

広川泰士さん撮影のその日のポートレート