わたしと明日のおしゃれなカンケイ

スタイリスト&エッセイストの中村のんの日々、印象に残った出来事。

「OMOHARA写真展 vol.3 90's」12月31日まで延長となりました!

東急プラザ表参道原宿5周年記念のイベントのディレクターとして年間関わらせていただいた「OMOHARA写真展」、最終となる90年代は、11月17〜12月25日までの予定でしたが、好評につき、年内いっぱい、大晦日まで開催されることになりました!

5月に開催された70年代、8月の80年代に続いて開催した90年代。
正直いって自分にとっての90年代原宿は(この頃は子育てと仕事に追われていて青春ではなかったので)たいした思い入れもなく、輪郭をはっきりイメージできなくて、どうなることかと思いながら写真集めを始めた次第でした。

ところが、この頃の原宿のキイになる人たちに会い、手探りで情報や写真を集めてゆくうちに、いろんなことを思い出し、「90年代は面白い時代だった!」と思えてきました。

メインスペースとなる3階に展示したのはストリートマガジン「FRUiTS」からの青木正一さん撮影のスナップです。
90年代といえば、若い人たちのカルチャーとして語り継がれているのは「ギャル文化」がメインですが、ホコ天が実施されていた時代の原宿の路上からは、それとは一線を画したポップカルチャーが生まれていたことを目の当たりに思い出しました。

「OMOHARA写真展」のキャッチコピーは「ココデシカ ココダカラ」となっていますが、まさに原宿という街、「ここでしか、ここだから」こそ生まれたファッションがあったこと、仲間を求めて「ココ」に集まってきた若い人たちがいたことを実感しました。そして、彼らの自由でエネルギーに満ちたスタイルを改めて面白く感じました。

※この会期中に、「FRUiTS」のバックナンバー100冊全巻が、ニューヨークのメトロポリタン美術館のライブラリーに所蔵されることになったというニュースが飛び込んできて嬉しかったです!


今や絶滅に瀕したとも言える原宿ポップファッションですが、原宿を愛してやまない(そして原宿を研究対象としている)ドイツ人の社会学者のヤーナさん曰く、海外では今でも「原宿」といえば、このイメージが強いそうです。

この写真展を知らずに東急プラザにふらっとやってきた90年代の写真に負けないくらいポップな男の子が、食い入るように写真を眺めていたので話しかけました。

服のほとんどはメルカリなどで90年代のアイテムを探して買っているそう。
ポップなファッションの子が集まるイベントを月一回、原宿で主催しているそうで、90年代に花開いた原宿カルチャーを、今なお、引き継いでいる若い人がいることに感激しました。
「でも、僕は、この時代にいたかったとか、羨ましいとか、そういう風には全然思わない。大切なのは温故知新」という言葉も頼もしかった。
そして、知らずに来たものの「なんか、元気もらえたわ〜、本当に来てよかった!」と言って帰って行った男の子。

世代を超え、国籍を超え、原宿カルチャーを愛し、そして原宿愛をライフワークにすらしている人たちとの出会いは、この写真展に関わったからこその宝といえます。


90年代の写真を集める中で、もうひとつ嬉しい出会いがありました。
写真集「70’HARAJUKU」のアートディレクター、白谷敏夫さんに紹介されたのはカメラマンのケニーさんでした。
90年代の裏原でスケーター仲間と遊び、カメラマンとして、早くから裏原カルチャーのど真ん中にいた人です。
写真を見せてもらいながら、当時の話を色々聞きました。

藤原ヒロシさん、ジョニオさん(アンダーカバーの高橋盾さん)、よっぴーこと江川芳文さんたちと作っていたフリーペーパー的カルチャーマガジン「LOVELY」のことや、オザケンさん(小沢健二)から「僕、出るから、そのあと入ったら」と言われて入居したマンションのこと。
そのマンションにはスチャダラパーのスタジオもあって、そのマンションから大ヒットした名曲「今夜はブギーバック」が生まれたこと等々。


中でも興味深かったのは、当時、原宿でしょっちゅう顔を合わせてた藤原ヒロシさん、NIGOさん、滝沢伸介さん、ジョニオさん等々、それぞれがブランドやショップを作るにあたって、「Tシャツのデザインしてくれないかな」「写真撮ってくれない?」、そんなノリで仲間内で協力し合ってたという話でした。
「裏原文化」という言葉は雑誌社が作ったもの、僕たちは、裏原文化を作ろうなんてことは全然意識してなくて、単に面白いことをやろうと、意識としてはひじょうにアンダーグラウンド的だった、でも、雑誌が特集したことで全国に広がっていってブームに火がついた、という話も、なるほどでした。

そして、もっとも興味深く、面白かったのは
「とんちゃん通りにあったNIGOさんの事務所に僕はデスクを置いていた。毎日、いろんな仲間が集まってきてて、とにかく、みんなが、いつも仲間といた。ガラケーはあったけど、90年代は今みたいにインターネットが普及してたわけじゃないし、みんなと何かやろうとしたら、直接会って、話し合うしかなかったんですよね」と言う言葉に、はっとさせられました。

90年代、インスタ等SNSで繋がることなんかできなかった時代、同じスタイルの仲間を求めて、オリジナルな派手なファッションを好む若い子たちは、ラフォーレ前や(東急プラザ表参道原宿の前身である)GAP前に集まってきてた。
そして、スケボーやバイクを趣味とするファッション感度のいい若者たちは遊歩道(今のキャットストリート)に集まってきてた。
そして、集まることによって可視化され、ひとつの形として育っていったカルチャー。

70年代の原宿で青春を送った私にとっては、「70年代、原宿レオンに集まっていた若者たちが、損得なしに交流し合う中から、やがてビッグになっていったのと同じようなことが、90年代の原宿でも起こっていたんだ」と、感激の気づきでした。


ケニーさんが当時撮った写真は4階と5階に展示されています。

藤原ヒロシさんと、「原宿MILK」の大川ひとみさんと、世界的帽子デザイナーのスティーブン・ジョーンズ。

この写真は、フリーペーパー「LOVELY」のために撮られた写真でした。

原宿のゴッドマザー的存在だった大川ひとみさんは、多くの若者たちの才能を見つけ、いろんな人と繋げ、チャンスを与えてきたことでも有名ですが、ケニーさんもまた、プロカメラマンになるチャンスを大川ひとみさんから与えてもらった一人だそうです。


ネイバーフッドの滝沢伸介さんと、ネイバーフッドの広告のために原宿で撮られた俳優・永瀬正敏さん。



そして、90年代末期に三年間だけクリスマスシーズンに実施された原宿駅舎のイルミネーションの写真を提供してくださったのはカメラマンの北島元朗さんでした。今の時期にピッタリともいえる写真であり、この駅舎がなくなることが時間の問題である今にとって、とても貴重な写真でもあります。


91年にバブルがはじけたとはいえ、今振り返ると、90年代はまだまだ豊かで、人の心にも余裕があって、エネルギーに満ちてる時代だったんだなー、
そんな風に思いました。

「若者」と呼ばれる人たちは世代交代し、流行もカルチャーも変わりゆくものだけれど、「歩行者天国」がなくなったこと、インターネットが一般に深く浸透したことが、2000年代からの原宿文化を大きく変えたことを目の当たりに感じました。もちろん、それは原宿に限った話ではありませんが。

あと10年経って、「OMOHARA写真展2000」なんて展示をすることは可能なんだろうか?
ふと、そのことを思いましたが、写真展で会った男の子が言ったように、昔を懐かしがるだけでなく、「温故知新」そのことをキイに、この先も、今に繋げる活動をなんらかの形で続けてゆきたいと思っています。

会場に足を運んでくださったみなさん、ありがとうございました。
そして、まだの方はぜひ、31日までに!

5階には、70年代、80年代の写真のアーカイブもスライドショーとパネルで展示しています。


今年の年頭、この企画を私にもちかけて下さった(株)電通テックの野瀬怜奈さんに心から感謝いたします。