わたしと明日のおしゃれなカンケイ

スタイリスト&エッセイストの中村のんの日々、印象に残った出来事。

小夜子さんの魅力と魔力

12月3日、一日限定のイベント、山口小夜子没後10年追悼上映会「宵待月に逢いましょう」がスパイラルホールで開催されました。

松本貴子監督作『山口小夜子 氷の花火』の2回上映。
昼の部ではそれに加えて『月 小夜子/山海塾』の上映と、トークゲストに(元)資生堂のビューティディレクター富川栄さん。
午後の部では『T-CITY』の上映と、写真家の下村一喜さんとファッションデザイナーの丸山敬太さんを迎えてのトークショーが行われました。

そして、ホールの手前のラウンジには、資生堂のポスターをはじめ、錚々たる写真家たちが撮影した小夜子さんの写真が展示されました。


染吾郎さん、横木安良夫さんなど、私が作った「70’HARAJUKU」の参加カメラマンたちの写真も展示されること、そしてこの写真集も物販コーナーに置いていただけることなどもあって、そして何より、十代の頃から憧れていた小夜子さんの大事なイベントに微力ながらもお役に立ちたい一心で、私も朝からお手伝いに入っていました。

染吾郎さんが撮られた、写真集の表紙にもなった小夜子さんと私の師匠・ヤッコさん(高橋靖子さん)の写真も展示されました。


染吾郎さんは、他にもこの4点を出展されました。


横木安良夫さんがカレンダー用に撮られたこの写真のアートディレクターは横尾忠則さんだったそう。

小夜子さんが亡くなられたのは2007年の8月でしたが、下村一喜さんが2007年に撮影されたこの写真は、小夜子さんの最後のファッションフォトとなりました。


会場にずらりと並べられた資生堂のポスター。


このポスターの前で、嬉しくも貴重な記念写真を撮りました。

右にいるのは、雨宮君。今は大手広告代理店で立派なお仕事をなさっている方ですが、「のんちゃんは、僕の青春の1ページ」by雨宮、という関係なので、本当にしばらくぶりだったけど、会えばやっぱり今でも「雨宮君」。

雨宮君は、資生堂の広告の歴史を作られたカメラマンとして有名な(故)横須賀功光さんのアシスタントを7年にわたってやっていました(私がまだ駆け出しのスタイリストだった頃、雨宮君が日大芸術学部の学生の頃に知り合ったのでしたが、で、横須賀さんに雨宮君を紹介したのは私だったらしいけど、私は全然覚えてない(笑))。

一枚一枚のポスターを眺めながら「この撮影現場のほとんどにオレいたよ。どんなライティングをしたかもはっきり覚えてる」と言いながら、撮影現場での思い出を語ってくれました。

そのお隣は富川栄さん。資生堂はもちろんのこと、その他の撮影でも、小夜子さんのヘアーメイクのほとんどを手がけてこられた、小夜子さんがもっとも信頼していたメーキャップアーティストさんでした。

そして、そのお隣は、資生堂のアートディレクターだった天野幾雄さん。
横須賀さんと組んで、小夜子さんの広告の数々を生み出してこられた方です。
私の師匠・ヤッコさんとのお仕事も多く、私もアシスタント時代から、そしてフリーになってからも可愛がっていただきました。

小夜子さんとの思い出を山ほどもっている御三人と、この場で再会できたことはとても嬉しいことでした。

そして、天野さんと松本貴子監督のツーショットも撮りました。
背後にちらりと見えるおかっぱの女性は、アーティストのマドモアゼル・ユリアさん。富川さんのトークの時に、富川さんに(小夜子風に)ヘアーメイクされた姿でゲストとして登場しました。

広いスパイラルホールでの上映は満席。
写真展会場にも大勢の人が詰めかけました。

会場のお手伝いに入って本当によかったなと思ったのは、若い人たちと話しができたことでした。
「『山口小夜子 氷の花火』は、21回観に行きました」と言う若い男性。
「とにかく小夜子さんが好きで好きで」と、おかっぱに小夜子メイクで来場された若い女性の姿も何人も見かけました。
小夜子さんが活躍されていた時期をオンタイムで知らなくても、小夜子さんの魅力と魔力が、今なお、若い人たちの美意識に訴えかける存在であることがダイレクトに伝わってきました。


私がこの映画を観たのは4回目でした。
小夜子さんの生前の映像、小夜子さんを知る人たちへのインタビューによって構成されたこの映画から小夜子さんの多面的な人間性を知ることができますが、観るたびに違う箇所が印象に残ります。

そして今回、松本貴子監督、ヘアーメイクの富川さん、写真家の下村一喜さんがトークで語られた小夜子さんのエピソードによって、ますます小夜子さんの多面性を知ることができましたが、知ると同時に、小夜子さんのミステリアスな印象がさらに深まったような気持ちにもなりました。

「小夜子さんは汗かきだった」by富川さん。←意外!
隣の席でトークを聞いていた雨宮君に「小夜子さんが汗かきだったって意外だね」と言ったら、「うん、意外だね」と。何度も撮影現場にいた雨宮君でも知らなかったこと。おそらく小夜子さんは、メイクを施し、カメラ前に立った途端に、完璧に汗を制していたのでしょう。

「小夜子さんは長電話だった。夜の8時にかかってきたとるすると、話を聞いているうちにチュンチュンいうスズメの声が聞こえてきた。こっちはもう眠たくて電話を切りたいのに、小夜子さんは切らなかった」by松本貴子監督。←意外!

そして、松本さんと下村さんは、「小夜子さんって、ほとんど寝てなかったんじゃないかな」「うん、きっと寝てなかったと思う」←意外!
あれほどストイックなほど「美」にこだわった人だから、美容にとってもっとも大事な睡眠はたっぷりとるように心掛けてらしたはずと勝手に思っていました。

そして「小夜子さんは引きこもりだった。仕事にないときは、ずーっと家に引きこもって本を読んでたんじゃないかな」by下村一喜。
「小夜子さんは好奇心旺盛で、芝居でもなんでも、こんなものまで?!というものまでよく観に行ってた」by丸山敬太。←どっちもわかる!

オンタイムで小夜子さんのデビューからビッグになってゆくまでを観てきた(メディアを通して。お仕事をご一緒したのは資生堂のCMで一度だけ)私にとっても、ますます興味がわいた今回の追悼イベント。
若い人たちも、目に心に、多くの小夜子さんを焼き付けて帰られたことと思います。


70年代、世界に東洋の美を轟かせた山口小夜子
「あんな人は二度と現れない」
「唯一無二の誰も真似できない個性と美しさ。あんなモデルはこれからも出現しないだろう」
多くの人たちがそう言います。

外見だけでなく、内面的にも、その「美へのこだわり」が語る継がれるモデル。

小夜子さんが亡くなられたとき、築地本願寺で行われた「お別れの会」に参列した帰り道、「小夜子は死んだんじゃない。月に帰っただけ」と思いましたが、昨日の追悼イベントが行われた日のお月様は、普段より一割増しの大きさ、三割増しの明るさだったそうです。
この日を選んで、一日限りのイベントを開催された松本貴子監督の小夜子さんへの愛とリスペクトに感動しました。

(スタイリストの大先輩・いちだぱとらさんが撮影された昨夜の月を借用します)

小夜子さんが生まれたときに、ご両親がその赤ちゃんを「小夜子」と名付けたこと。
そして、横浜のお墓が目の前にあるお家に生まれ育ったこと。
その時点から、小夜子が小夜子になることは運命つけられていたのではないかな、
大きなお月様を眺めながら、ふと、そんな風に思いました。