わたしと明日のおしゃれなカンケイ

スタイリスト&エッセイストの中村のんの日々、印象に残った出来事。

ヤッコさんと小夜子さん

この度、「毎日ファッション大賞2017」で、鯨岡阿美子賞を受賞された私の師匠であるヤッコさんこと高橋靖子さん。

昨日11月29日、「毎日ファッション大賞」の授賞式&パーティが開催され、その会場となったEBISU303に、ヤッコさんに拍手を送るために行きました。


今年35年目を迎えた毎日ファッション大賞ですが、正直言って個人的には、日本のスタイリスト第一号であるヤッコさんの受賞は遅すぎるくらいと思っています。(スタイリストという職業を、日本に根付かせた人として、20年以上前に受賞されててもよかったのではないかと)。
でも、ともかくおめでたいことであり、ヤッコさんはスピーチで、しきりに「スタイリストは自分一人でできる仕事ではない。各分野のスタッフが集まってグループとなって作り上げる仕事」ということを仰っていました。そして
「この賞は、明日からまた頑張れよ、という賞だと思っています」と。
御年76歳、スタイリスト歴50年というキャリアを経たあとの受賞は、20年前に受賞されてるよりも、もっともっと凄いことで、今がふさわしかったと言えることなのかもしれません。

そして私個人としても、このタイミングの受賞には感慨深いものがありました。

いろんなところで書いたり、取材のインタビューで語ったりしてきていますが、私がヤッコさんと出会ったのは、17歳のときでした。「私がヤッコさんに憧れる」、そこから始まった関係でした。
そして、当時、私が憧れていたもう一人はモデルの山口小夜子さんでした。

ヤッコさんのアシスタントをアルバイトで始めたのは桑沢デザイン研究所に入学した年、18歳のときでした。
学校のロビーの掲示板に「デザイナー・池田貴雄のファッションショーのフィッター」の募集が貼られていて、対象はドレス科の学生だったけど、ファッションショーの舞台裏を経験してみたかったのと、山口小夜子さんがモデルとしてでることを知って、グラフィック専攻の学生だったけど、事務の人にお願いして、お手伝いに参加させてもらうことにしたのでした。

小夜子さんは当時24歳、世界的なスーパーモデルになる直前だったと思います。
その後、何年も経ってから、「小夜子のイメージ」を不動のものとして確立された小夜子さんと資生堂のコマーシャルのお仕事でご一緒したときには、現場にもメイクした顔で来られ、とても近寄れない雰囲気の方だったけど、18のときに初めてお会いした小夜子さんは、すっぴんで楽屋に来られ、その素顔を見て、当時人気アイドルだったキャンディーズ伊藤蘭ちゃんと似てる、素顔は妖艶というよりカワイイのね、と思ったことを今も鮮烈に覚えています。

フィッターに入る前日、ヤッコさんに「明日、小夜子さんにお会いするんです!」と興奮気味に言ったら、「あら、そう、だったら、小夜子さんに借りてる本があるから返しといて」と、『ジェニーの肖像』の文庫本を渡されました。
楽屋に入って、どのタイミングで渡せばいいのか、ドキドキしながら、あ、そうだ、と思いつき、フィッターの担当を決めていたショーのスタイリストとして入ってらした中村理香子さんに「私、高橋靖子さんから小夜子さんにと預かってるものがあるので」と申し出たら、「そうなのね、ではあなたは小夜子さんの担当に」と言われて、嬉しさにドギマギしたのでした。

ショーが始まる前に、無事、小夜子さんに本をお渡しし、小夜子さんはとてもやさしくしてくれました。
「これ、あなたに預けておくわ」と渡されたKENZOの刺繍の小さなポシェットに入っていたのは煙草のチェリーで、「小夜子さんとチェリーはよく似合う」と思ったことも印象深く残っています。

ヤッコさんと小夜子さんは、私の青春の思い出の中で、半ばセットになっている存在ですが、そんなお二人が原宿レオンにいるところを撮った染吾郎さんの写真が、私が2015年に作った写真集『70'HARAJUKU』の表紙になったことは、私にとって、本当に特別なことなのです。


そして、12月3日(日)には、「山口小夜子没後10年追悼上映会『宵待月に逢いましょう』」が表参道のスパイラルホールで一日だけのイベントとして開催されます。

生前の小夜子さんと親しくされてきて、映画「氷の花火 山口小夜子」の監督でもある松本貴子さんの主催です。
写真集からのご縁、そして、「氷の花火 山口小夜子」の冒頭で小夜子さんとの思い出を語られているヤッコさんとのご縁から知り合った松本貴子監督からお声かけいただき、私もこの日会場に展示する写真集めのお手伝いをさせていただいています。

そして、スパイラルの1階では、11月27日〜小夜子さんの関連グッズが販売されていますが、そのひとつとして「70'HARAJUKU」も置かれています。とても光栄なことです。



18のときに憧れ、煙草を渡されただけでもドキドキしていた小夜子さんの没後10年の記念すべきイベントに微力ながらも関わらせていただくことになるとは、40年前には、いえ、一年前にだって思ってもみないことでした。

これは、ヤッコさんのアシスタントをしていた頃のヤッコさんとの写真。18か19のとき。
おかっぱはもちろん、小夜子さんに憧れてしていた髪型でした。
髪型を真似したところで、小夜子さんみたいになれるわけはないけれど、白人やハーフにみんなが憧れていた時代、小夜子さんの登場は、「日本人として生まれた外見に自信と誇りをもたせてくれる」といった意味にも大きな影響をうけたものでした。

「毎日ファッション大賞受賞者」の記事に大きく掲載されたヤッコさんの写真は、デヴィッド・ボウイ山本寛斎さんと一緒にいるところでしたが、小夜子さんが生前にもっとも深い縁をもたられたデザイナーも寛斎さんでした。

57歳という若さで天に召された小夜子さんでしたが、
ヤッコさんの受賞に天国から拍手を送ってらっしゃることと思います。


スピーチで「明日からまた頑張れよ、という賞だと思っています」と仰ったヤッコさんには、本当に、これからもずっとお元気で活躍していただきたいと、心から思います。