わたしと明日のおしゃれなカンケイ

スタイリスト&エッセイストの中村のんの日々、印象に残った出来事。

『アレクセイと泉』上映会 vol、1 @デジタルガレージ

4月17日、初回の上映会が行われました。

ドアオープンの前から、ロビーに続々詰めかけて下さったお客様たち。
メンバーそれぞれの顔見知りも多く、すでにパーティ会場のような雰囲気に。

10日足らずで、しかも、メールとツイッターフェイスブックだけの告知で、あっという間に、200名もの方が集まって下さったことに、やはり、私たちが思ったように、多くの人々が、今、この映画を観ることを必要としていると、強く実感しました。
上映前、真剣に、パンフレットを読むお客様たち

上映後、本橋成一監督にお話をしていただきました。
「上手に話せなかった」と、あとで頭を掻いていらしたけど、話題がどこに飛ぼうが、一貫した思いが込められた語りは、変なたとえですが、どこを切っても、金太郎飴、といった感じで、その思いは、客席にいるすべての人の心に届いたことと思います。

上映した夜から、こんな感想のメールが、たくさん寄せられたことが、その証拠です。
「本橋監督がおっしゃっていたように、これからは引き算で生きるための工夫をしていくことで、この地球と、人間と、すべての生き物が、うまく共存できるのではないかと思います」

「本橋監督のお話を聞き、ペットボトルに詰めた水を、人が人に売るという行為の不自然さを考えさせられました。自然界からすれば、人間こそが不自然そのもの。より優れた原発開発より、自然を受け入れた生存を」

「本橋監督と、現地の方の会話、『人が汚した土地だろう』ということが、映画からも伝わってきました」


『どこへ行けと言うのか。人が汚した土地だろう』

チェルノブイリの事故によって、汚染された土地に住む、アルカジイ・ナポーキンという名の、ひとりの老人が言った一言。監督の心に深く突き刺さった言葉。
この言葉があったからこそ、この映画が作られることになり、監督が深い思いを込め、時間をかけて作られたこの作品に触れることによって、私たちは、深い感動と、貴重な気づきを与えられ…
姿も知らない、アルカジイ・ナポーキンさんとの、時空を超えた繋がりを感じずにはいられません。
そして、今、私たちは、彼の言った一言について、実感をもって、考えずにはいられないところに立っているのです。
約10年前に、私は、この作品を試写で観ました。
そのときに、感じたことと、今、受け取っているものの差が、どんなに大きいか…言うまでもありません。


著書にサインされる本橋監督の手

どんどん広がれ!『アレクセイと泉』の輪!

ここにアップした写真はすべて、「アレクセイと泉の会」のメンバー、写真家、hanaさんが撮影したものです。