わたしと明日のおしゃれなカンケイ

スタイリスト&エッセイストの中村のんの日々、印象に残った出来事。

菊池武夫さん、BIGI、メンズBIGI、TK、そして70年代〜今

ビギ、ある時代を通過してきたファッショニスタにとって、この言葉は特別な響きをもつ言葉です。
表参道に、まだちらほらしかブティックがなかった時代、「デザイナーズファッションブーム」なんて言葉もまだなかった時代、デザイナーファッションが「マンションメーカー」と呼ばれていた時代、現在の表参道ヒルズの向かい側あたりに位置していた教会の地下にあった「BIGI」は、オシャレが大好きな人たちにとって、もっとも憧れのブティックであり、ブランドでした。

高校生だった頃、買えないし、似合わないことがわかりつつも、背伸びして入ってみたBIGI。ワクワクよりも、ドギマギという表現のほうがふさわしい、あの日の気分を今も忘れてはいません。
そして、やっと買えるようになった時期にお洋服を入れてもらったBIGIの袋を、今も大事に保存している私です。
初めて買ったときではないような気がするけど、袋に書いてある電話番号の局番はまだ三桁。この袋は、いつ頃の物なんだろう?

当時、BIGIを率いていたのは、菊池武夫さん、稲葉賀恵さんの超カッコイイご夫婦。お洋服だけでなく、お二人のカッコ良さも、私たちにとっては憧れでした。
昨年出版された菊池武夫さんのご本には、その当時を振り返る菊池さん、稲葉さんの対談も掲載されています。

菊池武夫の本

菊池武夫の本

時代の印象として、色濃く残っているビギですが、菊池武夫さんがBIGIに関わってらしたのはたったの三年強だったそう。
その後、稲葉さんと別れ、メンズビギを立ち上げられた菊池さん。
それ以前にも、VANによって、アイビーブームを巻き起こした石津謙介さんという存在はいらしゃいましたが、本当の意味で、日本のメンズファッションを牽引されてこられたのは菊池武夫さんだといえると思います。

当時、若者たちの間で大人気だったショーケンこと萩原健一さんと水谷豊さん主演のドラマ『傷だらけの天使』、私の記憶だと、ドラマのテロップにブランド名が入ったのは、このドラマが初めてだったのではないでしょうか。
名作ドラマBDシリーズ 傷だらけの天使 Blu-ray-BOX(3枚組 全26話収録)

ショーケンが着こなす菊池武夫さんデザインのファッションに憧れ、真似をするオシャレな男の子たちは、私のまわりにもゴロゴロいました。

スタイリストのアシスタントとなって業界に入ってから、メンズビギに務める男の子や女の子達と仲良くなりました。「メンズビギに友達がいる」、それはひとつのステイタスでもあり、彼ら、彼女たちから聞く「素顔の菊池武夫」のエピソードのひとつひとつにワクワクドキドキしたものでした。そして、どんなに仕事が忙しく大変でも、誰も悪口を言わない、誰もが愛情と尊敬を込めた口調で「タケ先生」について語る。そのことからも、みんなが語る「タケ先生」って、どんだけ素敵な人なんだろうと、興味を抱いていました。

メンズビギを閉めて、ワールドに移って、TAKEO KIKUCHIを立ち上げられた後も、菊池武夫さんは、男の子や男性たちにとって、「スター」を超えて、神様のような存在でした。
当時、私のアシスタントだった女の子のBFの大学生は、地方の裕福なお家の子でしたが、仕送りとバイトで稼いだお金のほとんどを、三食抜いても、TKのお洋服につぎ込んでいましたが、そんな男の子が山ほどいました。
TKのファミリーセールには、始発でやってくる男性たちが大勢いて、開店時間に行くと、長蛇の列ができていたものです。
東京コレクション会場の代々木のテントも、毎回趣向を凝らしたショーをやる菊池武夫さんのコレクションが一番人気で、ファッション関係者でも、チケットを入手するのに、手を尽くしていたほどでした。コレクションの思い出を語り出したら、きりがありません。

というわけで、何十年にわたって、まさに「雲の上の人」だった菊池武夫さんですが、今年、6月に行ったロンドンで、元BIGIのデザイナーだった藭戸真知子さんのご自宅に滞在させていただき、そのときたまたまロンドンに来られていたタケ先生とお食事をご一緒させていただいたことから、いきなり、タケ先生と急接近することになりました。その前にも一度だけ、バーでご一緒したことはあったのですが、そのときはほとんどお話しすることはなく、でも、ロンドンでお会いしたときに、バーでお会いしたことを覚えててくださったことに大感激しました。
ロンドンで撮っていただいたツーショットの私は、高校生の頃の顔に戻っているようです。

その後、今月に至るまで、真知子さんがロンドンから帰国されるたびにお声かけいただき、なんと、4ヶ月の間に、4回もお食事をご一緒させていただく機会に恵まれました。
7月

9月

10月

そして、長年憧れていた神様のような方が、実は、一般の人にもちょっといないくらいフレンドリーで、柔らかくて、優しくて、器が大きくて、一緒にいて、とてもリラックスして、ありのままの自分でいられることに大感激でした。
知れば知るほど、会えば会うほど、大好きになるタケ先生。タケ先生に引き合わせて下さった真知子さんに感謝いっぱいです。

先日、お会いしたとき、席から立たれたタケ先生の全身があまりにも素敵だったので、思わず(図々しくも)「先生、ストップ!」と声をかけ、撮らせて頂いたスナップ。ヘンリーネックのTシャツの袖と丈のバランス、ジーンズの裾の長さと太さ、アクセサリーのさりげない使い方等々、どこをとってもこれ以上ないさすがの着こなし、ポーズを決めなくても絵になる様に感動です!
外見、内面含めて、本当のエレガンスって、こういうことなんだと思います。

そんな菊池武夫さんを特集した雑誌が出版されます。なんと、20年振りに復活する「男子専科」です。私は既に、Amazonで予約済。
深みのある男性写真のカメラマンとして、誰もが認める第一人者の操上和美さんが撮られたタケ先生、今から見るのが楽しみです。

そんなこんなで個人的に菊池武夫ブームが到来している今、もうひとつ貴重な偶然に出会いました。20代の頃から、公私共に親しくしてきているカメラマンの横木安良夫さんが、数年前に出版された『あの日の彼 あの日の彼女 1967ー1975』をスライドショーにしてyoutubeにアップしたので観ていたら、その中に70年代当時のBIGIのショップから出てこられた若き日のタケ先生が写ってらしたのです。
この写真は、横木さんがまだ日大芸術学部の学生だった頃から、駆け出しにかけて撮られたもので、偶然、原宿で「当時の大スター、菊池武夫を見かけたので、シャッターを押した」ものなのだそうです。
8分10秒のあたりです。
http://www.youtube.com/watch?v=Lft_5FDsg6I

このスライドショーをお教えしたら、ちゃんと観てくださったタケ先生。そして驚くことに、ここで使われている音楽、ブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」は、タケ先生も大好きな曲で、京都でショーを行ったとき、使われていたのだそうです。

このスライドショーを観ながら、いろんな思いが渦巻きました。
まさに、混沌としていた70年代に生み出されたデザイナー菊池武夫のファッションは、日本のメンズファションのあり方の象徴であり、当時から今に至る時代とシンクロする形で存在しているということ。
ロックの起源を語るのに、ビートルズの存在が欠かせないのと同じように、
日本において、男性が女性に負けないくらいオシャレすることが広く認められ、ストリートファッションが、ひとつのファッションの形として認められるようになった社会的背景には、菊池武夫の存在は欠かせない、と強く思うのです。

政治的なことを含め、風俗や風潮を取り上げながら、日本の歴史とファッションを、菊池武夫を軸として語る本を読みたい。誰か作って欲しい。横木さんの写真を眺めながら、そんな風に願望してしまいました。
日本が今、こんな時代だからこそ、菊池武夫先生が、タケ先生のお仲間たちが、作ってこられた時代を振り返りたい、そんな気持ちになっています。

参考として、横木さんの写真集も貼り付けます。

あの日の彼、あの日の彼女。 1967-1975

あの日の彼、あの日の彼女。 1967-1975