わたしと明日のおしゃれなカンケイ

スタイリスト&エッセイストの中村のんの日々、印象に残った出来事。

『OMOHARA写真展 vol.2 80's』 始まりました!

東急プラザ表参道原宿5周年記念のイベント、『OMOHARA写真展』
5月に開催した70年代に続く80年代、今回もディレクションをやらせていただいています。

キービジュアルは、1988年に達川さんがヒステリックグラマータブロイド判のカタログのために撮影した写真。
原宿のど真ん中でのゲリラ撮影なんて、コンプライアンスだの何だのが厳しい今ではありえないことです。
後ろに見える、東急プラザの前身であるセントラルアパートにはバドワイザーのでっかい広告が。
一枚の写真から伝わってくる情報から、80年代という時代の色々が見えてきます。



今回の展示では、80年代という多様化の時代に原宿から起こったムーブメントを紹介しています。
DC(デザイナー&キャラクター)ブランドブームを紹介する中で、原宿にもっとも早い時期からあった、そして今も人気の四つのカリスマブランドをフィーチャーしました。
そのひとつ。タケオ・キクチ。


菊池武夫さんのブランド、メンズビギのファッションショーで伊島薫さんが撮影された写真を展示しています。
この写真は現在、ドアの大きさのパネルとなってタケオ・キクチに保管されていますが、撮った当時、伊島さんはまだ駆け出しのカメラマンで、メンズビギから依頼されて撮ったわけじゃないというエピソードを今回初めてご本人からお聞きしました。

メンズビギいた友達から招待状をもらって、買ったばかりの二眼のカメラを持って雛壇の前から三番目くらいに座っていたら、モデルたちの動きが普通のモデルみたいじゃなくて面白いからパチパチ撮っていたと。
モデルはプロではなく、ロンドンのストリートから連れてこられた若者たちでした。
後日、その写真を友達に見せたところ、その友達経由でタケ先生(菊池武夫さん)の目に触れ、「いい写真だね〜」ということで、メンズビギのイメージ写真として使われることになったそう。
モデルに素人を起用したり、まだ無名の駆け出しのカメラマンの写真を採用したり、タケ先生の審美眼とアイデアは流石だったと、40年近く経った今、あらためて感心すると同時に、「面白い」の感性だけであらゆるものが作られていた80年代の空気が懐かしいエピソードでもあります。



今年50周年を迎えるクリームソーダですが、意外なことに、社内には創立者のヤマちゃん(山崎眞行)一人の写真がまったくありませんでした。
「自分の写真を撮っておこうとか、山崎はそういう人じゃなかったから」とプレスの人の弁。
でも、ヤマちゃんの写真は絶対に展示したい。で、探し回ってたどり着いた写真は
1983年に三浦憲治さんが雑誌「平凡パンチ」のために撮影された、ピンクドラゴンの屋上にいるヤマちゃんの写真でした。今回はそのときのアザーポジから起こした写真を展示しています。

「山崎もテレながら天国で喜んでいることと思います」と、ヤマちゃんを今も敬愛し続けている若いプレスの方が言って下さったのがとても嬉しかったです。



80年代の頭は、表参道の歩行者天国竹の子族、ローラー族が社会現象を起こした時代でしたが、彼らの写真をちゃんと撮っていたカメラマンは意外にも少なく、写真を集めている途中で、「当時、毎週、彼らを撮りに行ってました」と言う女性カメラマンの渋谷典子さんと偶然出会えたおかげで、貴重な写真を展示することができました。



田村和一さんが撮られた若き日の、当時はパンクファッションだった藤原ヒロシさんのスナップも貴重です。

今年の2月に天に召されたプラスチックスのトシちゃん(中西俊夫)は、私が運営するリレーエッセイにも「すべては原宿から始まった」と書いてくれました。
田村さんは自分が撮ったチャーミングな若き日のトシちゃんの姿に再会して、言葉に言い表せない気持ちになられたようですが、今回、原宿の真ん中で、みんなに会えることを、トシちゃんはきっと喜んでくれてることと思います。


カメラマンたちも若かった頃、被写体に愛をもって撮られた若者たちの姿、
40年近く眠ったままだった写真、それらが東急プラザ表参道原宿という多くの人が行きかう場で、その時代を知らない人たちの目に触れることを、写真家のみなさんが喜んでくださってることも、とても嬉しいです。
右にいるのは、この写真を撮られた達川清さん。


日没後には、同館の6階、おもはらの森で、展示した写真が一挙に見れるスライドショーを上映しています。ビールをまったり飲んで夕涼みしながら是非!

80年代の写真展は、3階をメインに4階5階にも展示しています。
8月31日まで。
80年代の原宿にいた若者たちの熱気が伝わりましたら嬉しいです!