わたしと明日のおしゃれなカンケイ

スタイリスト&エッセイストの中村のんの日々、印象に残った出来事。

『ピアフ』そして『愛の賛歌』

大竹しのぶさん主演の『ピアフ』、再演のお芝居を、和田誠さん平野レミさんご夫婦と一緒に観に行きました。(1月20日、昼の部)

数年前、しのぶちゃんも交えて食事した席で、ご本人に向かって、
「しのぶちゃんはいつか、エディット・ピアフをやったらいいよ。やって欲しい」と言っていたレミさんでした。
元々は銀巴里でも唄っていたシャンソン歌手だったレミさん、席についた途端、幕が上がる前から、ピアフへの思い入れを語り、しのぶさん演じるピアフへの期待満々でした。
後半にいくにつれ、まるでピアフが乗り移ったかのように見える圧巻の演技!
ステージで歌うシーンは、20代から40代までを、たった1着の黒いワンピースが使われただけでした。
衣装を着替えるわけでもなく、髪型を変えることもなく、弾けるような若さから、薬に溺れ病んでゆく晩年の姿までを、たった一着のドレスで演じきった、女優大竹しのぶの、魂のこもった演技力に、あらためて驚かされました!

終演後、楽屋に行って感動を伝えたあと、
和田さんレミさんと、劇場近くのバーへ行って、ワインで乾杯。
そこで和田さんから貴重なお話を伺いました。

『愛の賛歌』、パリでピアフのこの曲を聴いて感動した黛敏郎さんが、帰国して、当時、越路吹雪さんのマネージャーだった岩谷時子さんに曲を伝え、
岩谷さんが訳詞ではなく、オリジナルの日本語の詞を書き、できてすぐ最初に歌われたのは、日劇でのステージだった。
そして、そのステージの演出をなさったのが、和田さんの伯父さんにあたる方だった、というエピソード。
私ひとりで聞かせていただくには、もったいないようなお話でした。

※このエピソードについては、和田さんの著書『ビギン・ザ・ビギン』に詳しく書かれているそうです。

ビギン・ザ・ビギン―日本ショウビジネス楽屋口 (1982年)

ビギン・ザ・ビギン―日本ショウビジネス楽屋口 (1982年)



ところで、岩谷時子さんが書かれた『愛の賛歌』は、

あなたの燃える手で、あたしを抱きしめて
ただ二人だけで 生きていたいの
ただ命の限り あたしは愛したい
命の限りに あなたを愛するの
・・・・・・・・

という詞で、曲が流れた途端、誰でも歌い出せるくらい有名ですが、

実は、ピアフが歌っていたフランス語の詞を直訳すると

青い空が私たちの上に崩れ落ちてくるかもしれないわ
そして、地球が本当に崩壊するかもしれないわ
でもあなたを愛していれば
そんなこと 私にはどうでもよいの
・・・・・・・・・・

というような詞になるそうです。

岩谷さんの詞もとても魅力的ですが、
悲しいことに、直訳の詞のほうが、今の時代の気分にマッチするような気もしてきます。
ですが、当時のピアフは、当然ながら、地球の環境破壊や、原発事故に不安を持ちながらこの詞を書いたわけではなく、
この世に生まれ堕ちたときから不幸の連続だった人生の中で、
それでも惜しみなく人を愛し、愛されることを心の底から切望し、それを得られた一瞬の喜びの中で書かれた詞。
けれど、この曲に歌われた最愛の人も、飛行機事故で失うことになってしまったピアフの人生。
歌い手の人生、作られた背景を知ることで、素晴らしい曲がより深く、心に響き伝わってきます。




話は変わって、昨年、私は、NHKの番組で、クミコさんが歌う『愛の賛歌』のための衣装を担当させていただきました。

いつも「黒」を着て歌っていたことで有名なピアフの曲ですが、
「赤でいきたい」というのは、クミコさんの希望でした。
ドレスは、新進デザイナーの天津憂さんにお願いして作っていただきました。
手を広げたとき、ドラマチックに広がる赤い生地の裏に、モノトーンの静かなテキスタイルを配し、心の奥底にある悲しみも、さりげなく表現し、全体をよりドラマチックに仕上げました。
TVを観てる人にはわからなくても、創り手と、着る人の間で、曲を理解し合うことから一着のドレスが出来上がる、そういうこともよくあることだし、重要なことなのです。
何よりも、歌う人の気持ちにとって。