わたしと明日のおしゃれなカンケイ

スタイリスト&エッセイストの中村のんの日々、印象に残った出来事。

縁は異なもの味なもの 藤原ヒロシとハービー山口

藤原ヒロシ。80年代のロンドンでヴィヴィアン・ウエストウッドマルコム・マクラーレンと親交を深め、ニューヨークでDJの現場を体感し、帰国後、日本初のリミックスDJとして活動。その後、音楽プロデューサーとして、またストリートファッションの分野でも「裏原宿のカリスマ」として、若い男の子たちに「ヒロシ君」と呼ばれながら絶対的な影響力をもつ藤原ヒロシさんのことはもちろん知っていた。「時代をブイブイ駆け抜けている人」と認識しながらも自分とは一生縁のない別世界の人だと思っていた。大げさに言えば、たとえ会うことがあったとしても共通項が見つからないセンスの人だと思っていた。

ハービー山口。70年代をロンドンで過ごし、まだ無名の頃のボーイ・ジョージルームシェアして生活する等、パンクの始まりからニューロマンティに移る時期まで、ロンドンの音楽がもっとも面白かった時代に、その内側にいて、数多くのミュージシャンたちと親交を深め、リアルな時代と人物像を撮ってきたカメラマンとして、もちろん知っていたし、ハービーさんが撮る写真は好きだった。でも、共通の知り合いのカメラマンを通して、一度ちらっとお茶したことがあるだけで、「知り合い」ともいえない関係のカメラマンだった。

ところが、昨年の11月に私がやったイベントの写真展に(どこから情報を聞きつけたのか?)ヒロシさんが来て下さったことからfbを通して会話する機会をもつようになった。
そしてハービーさんは、ひょんなことから、6月に「音楽実験室新世界」で私がやったトークショーへのご出演を願い、そこから急激に仲良しになった。

そしてそのヒロシさんとハービーさんが先週、代官山蔦屋書店でバッタリ会った(二人はこのとき初対面)ことをハービーさんからお聞きして、そして「お会いしたい」と言うヒロシさんの言葉を受けて、昨夜、三人で食事をすることになった。

ヒロシさんはハービーさんの写真集を持っているし、ハービーさんはヒロシさんの活躍ぶりは承知だったから、自己紹介なしに、最初からロンドンの話題で盛り上がった二人。ハービーさんは73年〜80年代の頭までいたロンドン。そしてヒロシさんは82年から通い出したロンドンだから、すれ違いではあったものの、誰かの名前、どこかの名称がでるたびに、「僕も友達でした」とか「よく行ってました」と、阿吽の呼吸で言葉を交わしながら体験を共有し合っていました。が、それにしても、さらっと二人が語る体験が凄すぎる、貴重すぎる!

中華を囲みながらのお宝話は、本人たちにとっては単なる思い出話なんだろうけど、私にとっては、「これって、もしかして、私一人で聞いてるには、もったいなさすぎる話題なのでは」とノートを取り出してメモを始めたものの、次々飛び出す名前をメモすることさえ追いつかないくらいだった。

せっかくメモしたから、備忘録としてここに書いておきます。
でも、私にとってはチンプンカンプンのワードがいっぱいだったから、きっと聞き間違え、メモ間違えもいっぱいあることと思います。

サイモン・ベーカー、トレイシー、ジョン・メイリン、スティーブ・ジョーンズ、リー、三上博、スカーレット、チャチャ、ソーホー、ビリーズ、フィリップサロン、マッドクラブ、ホワイトトラッシュ、ワグクラブ、ライムライト、トロージャン、ゴシックパンク、クラブオブヒーローズ、ベイカーストーリーズ、クリスサリヴァン、ブリッツキッズ、ニューロマンティック、スティーブストレンジ、ボーイ・ジョージ、ジョン・ロットン、スリッツ、アリアップ、ポップグループ、ドンデッツ、デレク・ジャーマン、フランキー、UB40、アンドリュー・ローガン、トロージャン、ジュニシス等々。。。

話はチンプンカンプンだったものの、とんがったパンクな人たちを撮ってきたハービーさんは、思いこんでたイメージとは正反対の、やさしく可愛いオーラの人で、とんがってる人だとばかりイメージしてきたヒロシさんは、こんなに謙虚な人は滅多にいないと思うほど、物腰の柔らかい静かな人で、二人の話題は凄かったけど、流れてる時間はとてもソフトな居心地のいいものでした。

故・川勝正幸さんが編集されたヒロシさんの半世紀『丘の上のパンク』を持参してサインしていただきました。

ハービーさんの写真集『ロンドン チェンジング・ザ・ドリーム』にもサインしていただきました。

若い頃のハービーさんとヒロシさん。

この頃のほうが、痩せててカッコイイ二人だけど(笑)、きっと、私がこの人たちと出会うべきタイミングは、この頃じゃなくて、今だったんだなと思いながら、心地よい気分で帰途についたのでした。