わたしと明日のおしゃれなカンケイ

スタイリスト&エッセイストの中村のんの日々、印象に残った出来事。

デヴィッド・ボウイとヤッコさん

デヴィッド・ボウイが亡くなったとネットに流れた日、一番最初に連絡を取り合ったのは、師匠のヤッコさんこと高橋靖子さんでした。
「偽の情報だったらいいのにね。もう少し様子をみよう」と言い合いながら、お互いに動揺していました。

その後すぐに「本当だったみたいね」とヤッコさんから電話があり、「みたいですね」と答えて電話を切ってから、ヤッコさんとは昨日も話していません。

語り合ったらきりがないような気もするし、
今は語り合わないほうがいいような気もするし、
そもそも、そうとわかった今は、語り合う言葉もないような気もして。



ボウイがいなくなって三日後の今日、朝刊を開いたら、「天声人語」(朝日新聞)にヤッコさんのことが書かれていました。

補足の画像をアップして記事を紹介します。

天声人語
オレンジ色の髪をして東京浅草の仲見世の人混みを歩いても、誰もそれと気づかなかったという。ただの外国人観光客と思われたらしい。英国のロック歌手デビッド・ボウイさんが1973年に初来日した際のオフの光景である。この時、ボウイさんのスタイリストを務めた高橋靖子さんが、著書『時をかけるヤッコさん』で紹介している。

公演や撮影に立ち会い、通訳し、私的な食事にも同席したという。コンサートでの聴衆の熱狂と、下町の人々の無関心の対比が面白い。

※寛斎さんとボウイとヤッコさん

当時、山本寛斎さんがデザインしたマント風の衣装には、当て字で大きく「出火吐暴威(デビッドボウイ)」とあった。

まさに「傾き者(かぶきもの)」のいでたちというべきか。派手なファッションや両性具有的な容姿で世界を驚かせてきたボウイさんが亡くなった。69歳だった。(以下、略)



もう少し経ったら、ヤッコさんと語り合おうと思っています。