わたしと明日のおしゃれなカンケイ

スタイリスト&エッセイストの中村のんの日々、印象に残った出来事。

デヴィッド・ボウイと山口小夜子と山本寛斎

昨日、1月15日は渋谷のイメージフォーラムで公開されていた映画
山口小夜子さんのドキュメンタリー映画『氷の花火』の最終日だったので行ってきました。試写を入れて観るのは3回目でした。

デヴィッド・ボウイがこの世からいなくなって5日目。
何を見ても、ボウイのことが浮かんできます。
そんな前とは違う心境で観た『氷の花火』

ひとつ強く思ったことがありました。

小夜子がデビューして一世を風靡したのは1973年頃でした。
そしてまた、ボウイが彗星の如く現われ、世界にインパクトを放ったのも同じ頃でした。


ボウイはミュージシャン、小夜子はモデルですが、この二人には共通点があります。
どこか「この世のものとは思えない」ミステリアスな容姿とイメージ。
そのイメージは、生まれ持った容姿を素材にして、自分自身の手によって作り上げていったものである点、二人は、自分の外見にたいする天才的なアーティストであり、プロデューサーであったといえます。
ボウイが、ミュージシャンという枠に収まらない限りない才能を備えたパフォーマーであったことは誰もが知るところですが、
小夜子さんもまた、デビュー当時から、単なるモデルという枠に収まらないパフォーマーであったといえます。


2007年に、まだ57歳の若さで小夜子さんがこの世からいなくなられたとき、
お別れの会に参列した私は、築地本願寺に流れる小夜子さんの映像を眺めながら
「小夜子さんは、月に帰っていったのね」と思ったものでした。

そして、ボウイが天に召された今もやはり
「ボウイは宇宙の彼方に戻っていった」
そんな気がしてなりません。


そして、二人の共通点には
その外見で世にインパクトを与えたきっかけに山本寛斎さんの存在が大きかったことが挙げられます。

小夜子さんのデビューのきっかけは、山本寛斎さんのショーであり、そのことによって世界が小夜子の存在を知ることになり、

2013年にロンドンのV&Aで開催されたボウイの大回顧展「DAVID BOWIE IS」に展示されたおびただしい数の衣装の中でも、やはり一番インパクトがあったのは、寛斎さんがデザインされた70年代の衣装でした。

山本寛斎という、強力な共通項がありながら、何故、この二人が寛斎さんの衣装を纏ったツーショットがないのか、寛斎さんが重要な役割としてインタビューにも出演されている映画を観終ったあと、素朴にそのことが浮かんできました。

「ボウイと小夜子のツーショットを見たかった」
帰り道、無性にそんな思いにかられましたが、
あるいは、私が知らないだけで、どこかにはあるのでしょうか?

V&Aの図録と、2015年に東京都現代美術館で開催された『山口小夜子展』の図録から、寛斎さんの衣装を纏った二人の写真を並べてみました。


私の妄想写真です。

ボウイも小夜子さんも、他の人には真似できない動きやポーズでも人々を魅了しました。



数々のアーティストのインスピレーションを刺激した二人でもありました。



「こんな人は二度とこの世に現れない」

この言葉も、この二人にこそふさわしい言葉だと思います。

ボウイと小夜子さんが、今、宇宙のどこかで出会っていることを祈ります。


【後日談】

このブログを読まれた「氷の花火」の監督の松本貴子さんが、
なんと!「ありました」と、ボウイと小夜子さんのプライベートなツーショットをツイッターで送ってくださいました!


貴重な写真をすぐにお送りくださった松本さんに感謝しつつ、永遠に残しておきたいのでここにアップしておきます。